元気を出して

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父親が亡くなったということで鈴木シスターズ妹が昨日から忌引きだ。
こう言っては失礼極まりないが、賑やかなのだけが取り柄なひとが姿を見せないと、
職場というものは本当に灯が消える。
ぐずついた空模様が続いていた今週なので、雨が降っているだけでぎゃあぎゃあ
うるさい鈴木(妹)が不在なのは不謹慎ではあるが好都合だった。



「山田」姓が二人いるのと同様、奇しくも課内には「鈴木」姓の女性が二人いる。
姓が同じというだけで周囲は彼らもしくは彼女らを関係性は無視して、ひとまとめに
「ブラザース」「シスターズ」などと呼んでしまうものだ。
メガネの山田さんと隣の席の山田では一括りにするにはあまりにアレなので、
前述の例に違うのだが、ふたりの鈴木さんは果たして「鈴木シスターズ」と
まとめられている。
とはいっても鈴木(姉)はぼくより4つ上の吉永さんなどと同期で、結婚して
「鈴木」になったひとである。
年齢的な視点でも既婚者であるという側面で見てもとてもそのようには見えない、
よく言えば若々しい悪く言えば歳相応な落ち着きのない元気な人である。
一方、鈴木(妹)は去年入社の課内最年少のひとである。コンタクトは苦手だと、
今日のように注目される以前からメガネを愛用する背の低い、これも元気な娘である。
ふたりの鈴木さんが「シスターズ」呼ばわりされるのは、単に姓が同じという点だけ
ではない。
まず容姿相貌が酷似している。両者の年齢は一回り近く違うのだが、肩あたりまでの
ボブっぽい髪型といいカラーリングの仕上がりまで、申し合わせているのか
そっくり一緒で、後ろ姿では見分けがつかないほど。
身長も鈴木(姉)が5mm高いというが見た目では一緒である。
さらにこれは偶然なのだが、学生時代共ににラクロスをやっていたという経緯まで同じ。
同競技の選手にありがちな歩幅の大きい歩行スタイルもこれまた同じ。
鈴木(妹)は元よりメガネ携行だが、昨今の世相にいち早く反応した鈴木(姉)も
去年あたりからメガネっ娘の仲間入りをしているので、最大の差別ポイントも
潰されてしまった。
二人はとても仲がいい。
本当の姉妹のように慕い合っていて鈴木(姉)の自宅を鈴木(妹)は頻繁に訪れて
食事を振る舞われたり泊まったりしているようだ。鈴木(姉)もご主人放ったらかしで
休日に二人でよく出掛けている。


気持ちはこころを左右するもののようで、日頃からどちらかが不在になると
鈴木シスターズは元気がない様子に見える。二人一緒にいると著しくかしましい声が
聞こえてこないからだけなのかも知れないが、なにか一枚ベールを纏ったように
霞んで感じる。
忌引きの届けを電話で受けたのは鈴木(姉)だった。
自分も有給休暇を申請して鈴木(妹)についていてあげたいとダダをこねて、
ついに課長もその要求を跳ね返すことはできなかった。
新規のプロジェクトが重なって、小動物の手足ではあまり役に立たないが
そういったものでも必要なくらいな忙中と知っての狼藉に課長は苦い顔をしていたが、
事態が事態なのでやむを得ずというところだ。
身内を、それも父親を亡くすという大きな衝撃の中にあって、平素明るく元気な
鈴木(妹)がどれほど落胆しているかを想像すると、ぼくでさえも気が気ではない
心持ちになる。それは課員皆同じなのではないかと案じる。
鈴木(妹)の実家は高知だそうだ。
快活な土佐娘の意気消沈している姿はイメージするに難いところではあるが、一人娘だと
いう鈴木(妹)を今励ましてやれるのは、全く赤の他人の姉なのかも知れない。
我がことのように涙を浮かべながら「かわいそう、かわいそう」を繰り返し
つぶやいていた鈴木(姉)は昨夜の最終便で羽田を発ったはずである。

うれしい予感

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先週末は一風変わった流れだったようだ。



日曜、居候はやけにいそいそと出掛けたと思ったらこの体たらくである。
敢えて触れない。ただなにかと出不精で、人混みの苦手なぼくに比べて、
あの年寄りのくせに見上げたバイタリティというか好奇心であるところは
評価というか尊敬に値する。
敢えて触れるつもりはないが、居候は一人で馳せ参じたのではないようだ。
『知り合い』…。
なぜかここでアケミさんの姿がちらついたのは、自分でも短絡的だと思う。



居候のことなどどうでもいい。大きな流れの変化は山田に訪れたようだ。
「まるで中学生のようだった」振り返りながら山田は述べる。
どうせ従前のように断られることを想定しつつ、土曜日に山田は
喜結目さんを映画に誘った。
若干の逡巡を見せたが、しかし喜結目さんは了承したらしい。
これに驚いたのは当の山田で、あまり考えもなく通常任務消化のような塩梅で
声を掛けていたので、いざこのような展開になるとどう行動すべきかとまどった。
「別に映画なんか興味ないからさ」何を観にいくのか作品選定に迷う。
誘っておいてなんだが、ここは随伴していただく喜結目さんに選定をまかせる
寸法で、その件は行動計画の埒外にしておいた。


当日、有楽町で待ち合わせて軽くお茶などしながら何を観るかという段になった。
あくまでも及び腰になっていることを悟られないように、
喜結目さんの意向を伺うと
「『ノロイ』が観たい」
山田は顔をしかめた。
ぼくらはつゆ知らなかったが、喜結目さんは大のホラー好きらしい。
一方山田は蛍光灯を落としたら就寝できないほどの恐がりである。
「誘った手前、行かないわけにいかないじゃん」
どこか焦点のずれた判断のように思えるが山田は喜結目さんの意向に従った。
有楽町の洒落た街並みを後に、「ノロイ」を鑑賞せんがため一路新宿へ。
移動の間中も喜結目さんは日米の「呪怨」の善し悪しの差異について
熱弁を振るい、「リング」関連一連の中で最も秀でているのは
2時間ドラマで放送された作品であるということを強く主張していたようだ。


新宿駅を出て歌舞伎町へ向かう。
その時ばかりは名前の通りの少女のような眼差しの喜結目さんだったようだ。
「もう観念したね」
映画館の看板を確認し、意気消沈する山田は興奮気味の喜結目さんにドリンクを
買い与え、座席に着いてからは気づかれないようにスクリーンに背を向けて
上映時間を耐えること2時間弱。
努めて注視していなかったので内容など皆目見当もつかない山田に比べ、
喜結目さんは同作品の駄目さ加減を楽しそうに語っていたという。
「まぁ、とりあえず型通りの段取りは踏んだわけだから」
食事してバーにでも寄って、そのあとは…などという本来の計画を遂行せんと
虎視眈々の構え。ところが意に反し、喜結目さんは
「もう一本観よう」と山田の腕をとる。
連れて行かれた映画館で上映中なのは仮面ライダーの映画だった。
喜結目さんは仮面ライダーの大ファンでもあったようだ。
「からかわれてるんだって思ったね」
山田は憤慨したが、時刻はまだ食事をするには若干早かったことと、
甘えた表情で懇願する目の前の思い人の姿に負けて木戸をくぐった。
テレビシリーズを観ていない山田は細部の設定等理解できないものもあったが
そこはそれ所詮仮面ライダーなので、そういうつもりで観ていた。
「昔は全然知らない役者とかがやってたよなぁ」
ドラマなどで普通に見かける俳優が出演していたことばかりが印象に残ったという
山田だった。正義に味方好きの喜結目さんはこちらも程良く堪能したようだった。


劇場を出ると辺りは夕まずめの頃合い。食事でも、と促すと喜結目さんは
おごるから飲もうと逆に申し出た。
なにか先から予定を覆され続けていた山田だったが、見たくもない映画を二本も
つきあわされていたので、そのぐらいのことをしてもらってもいいかと承諾した。
この辺の判断が出てきている時点で、山田の甘い桃色構想は費えていたことが窺われる。
ワインバーとかそういうところにでも行くのかと期待していたが、辿り着いたのは
カウンターのみの焼鳥屋であった。
「完璧にからかってると思ったよ」
このころには既に今日が好日であるという夢想は朽ちていた山田は、
ほぼ投げやりな気持ちで暖簾をくぐった。
久しぶりと喜結目さんが店主に声をかけると、キムちゃんお見限りだからと
おどけてみせる店主。
ここは喜結目さんの学生の頃からのお気に入りの場所らしかった。
きょとんとする山田を後目に喜結目さんが注文するのはホッピー。
「なんだか頭がクラクラしたよ」掴みきれない行動を続ける喜結目さんだった。


ホッピーと中生のグラスを傾けながら、山田はなにを話すべきか困惑した。
あっという間にグラスを空けると喜結目さんは二杯目のホッピーを注文する。
上々の機嫌でこぼれるような笑顔の喜結目さんは、平素オフィスで見せる
クールビューティなそれとは一線を画し、なにか子どものような無防備さであったと
山田は述懐する。
心乱されてあの山田が飲むペースを崩していると
「今日はありがとね」想定外のことばに躊躇する。
あたしってさ、ホントはこんななのと言ってカカカと笑う喜結目さん。
なにかうすら寂しいような気持ちになって、無理しなくてもいいよ、と
山田は声を掛けた。
「よくあるじゃん。嫌なヤツを袖にするのに、わざと嫌われるように振る舞うっての」
喜結目さんの数奇な行動を山田はそのように理解したのだった。
その方面の取り扱われ方には慣れている山田だ。
「無理なんかしてない」喜結目さんは真顔で応えた。
ラフティングの時に見せた豪放磊落な態度、ホッピーを煽りながらホルモンに
舌鼓を打つ姿。その上オタク並みのホラーマニアで仮面ライダーの追っかけ。
「あたしってさ、ホントはこんななの」
三杯目のホッピーとキンカン、カシラを頼んだ。
そのことばの真意を計れずに山田は黙ってしまったらしい。
喜結目さんは山田のジョッキが空いているのに気づき注文した。
新しい中生が届くとホッピーのグラスをぶつけ
「また誘ってもいい?」と問うて一人でカカカと笑った。


「どう思うよ?」山田は考えあぐねている。
ぼくにもよく分からない。
でももしかしたら次ぎに山田が誘われることがあったら、
喜結目さんはエンケイのことを相談するのではないかと、ふと思った。

おまえにチェックイン

『Royal Straight Flush 1980-1996』を手に入れた。
かねてより秘かな楽しみとなっているネットオークションにてである。
「ロイヤル・ストレート・フラッシュ〜」というのは沢田研二
ベストアンソロジーのテーマタイトルである。
ベストアンソロジーというからにはこの作品は沢田研二
1980年から1996年までに発表されたシングル作品のベスト盤である。
内容は2枚組で全34曲収録されている。
沢田ほどのキャリアを持つアーティストになるとあらゆる年代にコアな部分を持ち、
それぞれに信奉者を持つ。
ぼくにとって「Julie」は全くリアルタイムで接することのなかった
アーティストであるが、高校時代、バンドもどきをやっていたときの仲間の
母親が沢田研二の猛烈なファンで、ことあるごとにレコードを聴かされて
いたので、すっかり耳になじんでいる。
沢田の楽曲を初めて耳にしたのは中学3年から始めたバンド活動に
邁進していた頃であり、それと同時に極度に潔癖症的傾向から同年代の、
若者といわれる世代の風俗に拒絶反応を示していた頃だった。
そんな折に聴かされてしまった沢田研二は捉えようがないほど隔たっていた。
「かっこいい」で納めきれないほど大きかった。
それでいながらニューウェイヴを視野に入れて歌謡曲との均衡を
保ちつつ破壊しつつ自らのスタンドを位置づけた沢田の楽曲は魅力的に思えた。
ぼくらのバンドスタイルもスタイルにこだわるなら「沢田研二&EXOTICS」のように
したかったと本気で考えていたこともあった。
日本のニューロマンティックを牽引していた頃の沢田研二はやはりかっこいい。
楽曲ごとにコンセプトを設定し作家もスタイルも変えて豊饒な一瞬を提供する。
まさにスターというものの姿を、錦野旦とは別の意味で実感するのだった。
あらためて聴いた沢田の楽曲は今でも衝撃だし憧れる。

時の過ぎゆくままに

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気がつくと9月だった。
つくづく社会人になってから月日のけじめがままならない。
学生の頃はいわゆる○学期もしくは前期後期なんて分割されていて、
季節の別れめと共に、なにか気分も新たになるようなタイミングが
歴然としていたものだ。
勤めを始めると月末に収支決済などのポイントはあれど、おしなべて
スケジュールで活動するので、先月と今月のあいだに大きな差は感じられない。
気がつくと9月だった。
全くこんな感じ。2月なんか1日少ないのも気がつかない。
少し和らいだものの、まだまだ残暑は厳しいのである。



帰宅すると居候の様子がおかしい。
なにごとかと素振りには見せず案じていると、やたらと目が合う。
言いたいことがあるのだ。
なにか言いたいことがあって言い出しにくかったり、切り出すタイミングを
窺っているとき、決まって居候は黙ってジロジロとぼくを見る。
以前、朝からどうも妙な視線を感じていると、離れたところから
居候がこちらを注視している。気色悪いなと思っていると、
その手にマジックを握りしめて、ぼくの後ろ頭を見つめているので、
これは叶わんと慌てて家を出たことがある。
そんな時の視線に似ている。
スーツを着替えていても台所で水を飲んでいても、居候の視線が刺さる。
「なんなのさ」たまらず問うた。
咳払いなどをして居候は誤魔化している。
変なヤツと思いながら、ふとテーブルを見ると皿の上になにやらピンク色の
長いものが転がっている。
記憶にあるこのようなものはソーセージである。魚肉ソーセージというもの。
ざらりとした表面の感じも色も、紛う方無き魚肉ソーセージだ。
「なに?これ」分かっているくせに聞いてみた口振りになった。
「気になるか?」火をつけてしまった。
「別に」話を逸らそうとした。
「偽りを申せ」
「気になんないってば」
「ほれほれ」ぼくの目の前でくたくたと撓るピンク色の棒を揺らす。
鬱陶しいと払いのけようとしたとき香りが鼻をかすめた。
「?」甘い濃厚な感じの香りである。
「…なにこれ?」今度はほんとに興味がわいて問うた。
「いちごミルクだ」居候は歯を剥いて笑う。


その得体の知れないピンクの棒は、やはり魚肉ソーセージだそうだ。
しかも「いちごミルク」味の。
買い物をしていてマネキンに薦められたそうだが、どうにも勇気がなく
買うだけ買ってみたが試食を躊躇っていたそうだ。
魚肉ソーセージ。魚肉ソーセージっていったらアレだろ?
あのフゴフゴで生臭くて主義主張はなさそうなのにカレーなどに落とすと
人一倍膨れ上がっていて鍋を覗いたものを呆れさせる、あの。
いちごミルクってなんだよ。魚肉ともソーセージとも折り合いの悪い
このものらはどんな気持ちで彼らと結託したのか。
「いちごミルク」と誇らしげに書き込まれたパッケージはどう見ても
菓子の類の外観である。


「食え」居候はついと皿を薦める。
「…」
力尽き、如何様にもいたせと叫ぶ追いつめられたナマコのように
柔らかく硬直したピンク色の棒を切なく見た。
見かけに違う甘やかな香りは目をつぶれば触手も伸びたのかも知れない。
パッケージを見れば子どもの栄養補給に…的なこともある。
逆説すれば、魚肉ソーセージ本来のあるべき姿を知っている分だけ、
ぼくらは先入観で腰が退けているのだろう。
なにも知らない子どもたちならメーカーの毒牙にかけられるのかも知れない。
むしろ、これが基準となって生臭いいわゆるプレーンの魚肉ソーセージは
変な臭いの食べ物として後生忌み嫌われる存在として君臨するかも知れぬ。
貧富の差の激しかった昭和30年代、カレーの肉の代用品の覇権争いは
魚肉ソーセージとちくわがその筆頭だったと聞く。
ぼく自身もそうだが貧乏な学生時代、ディスカウントストアで5本パックが
5組束ねられていて、特価140円なんていう魚肉ソーセージを大量に買い込み
これを主食とし、日々のしのぎを削っていたこともある。
久々に再会した、戦友の変わり果てた姿を前に、変わったのはぼくなのか
彼なのかを自問した。

セプテンバー

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学生時代に住んでいたアパートには幽霊が出た。



築40年以上の朽ち方を見せるその建物は、アパートというより下宿という
呼び方がふさわしかった。
今ではまず見かけなくなった、戸外に面して居室ごと独立した玄関を持たない
様式の構造。二階に住むものは玄関で靴を脱ぎ住戸内の階段を上って各部屋へ
入るという仕組みだ。
外見の旧態を隠そうという魂胆なのか、なぜか戸内の廊下、階段などは
非常に場違いなペパーミントグリーンのペンキで塗られており、
妙な塩梅ひとしおであった。
二階には廊下を挟んで左右に二部屋ずつ計四部屋、ぼくの部屋は南西に位置する
角の、これまた今時めずらしい四畳半。
ぼくにとっては今も昔も変わらないのが室内の開口部が南面と西面ということ。
四畳半の空間に似つかわしくない壁面がほぼ全面窓というありがたくない設え。
木枠の窓には当然エアコンなどは設置できず、夏期の日中は温室どころの
沙汰ではなかった。
学生時代から就職後1年のおよそ5年間をそんなアパートで生活していた。
学校から2〜3分の距離に位置し駅からの通学路の途上にあったので、
そのアパートは学生達には存外知られた存在であった。
友人や先輩などがそこに住んでいた経緯があると、より詳細な情報も流布される。
つまり、出るということに関する情報。
かつてそのアパートには管理人を兼任していた大家の姉という老女が
二階のある部屋に住んでいたらしい。とても面倒見のいい世話好きな人だったようだ。
この方がその部屋で亡くなったというのは事実らしいが、このくだりから派生して、
管理人の霊が出るという噂になった。



ぼくが住んでいた間にもいろいろあった。
前述のような状況のアパートなので、いまどきの学生は当然この物件を選ぶことはなく、
当時の入居者で学生はぼくだけだった。
一階にもいくつか部屋があるがここには現管理人と、詳しくは知らないが
ジェームス・ブラウンのような外国人が出入りしているのを見かけた。
ある時期、二階は40代半ばの男性、リュウマチを患う老婆、東北からきた
50代の肉体労働者の人とぼくが入居していた。
老婆はある日「救急車を呼んでくれ」とぼくにせがみ、運ばれていった先で
亡くなったらしい。その後、息子の奥さんという人が現れて礼を言っていった。
住戸の外に廃棄を待つ彼女の荷物が出されていた。その中に目覚まし時計が
あり、雨に打たれながらまだ秒針が時を刻んでいたのが奇妙に記憶に残っている。
それからしばらくして、老婆のいた空き部屋の向かいに入居していた労働者の姿を
見かけなくなった。
梅雨が開けも暑さも厳しくなろうという7月頃。
しばらくすると得も言われぬ異臭がアパート内に漂うようになった。
臭いの発生源はどうも例の労働者の部屋のようである。
入口には中から施錠されている。
大家が職人を伴って入口をこじ開けてみると、室内には布団に横たわったままの
死後数日経過したと思われる遺体となった労働者の姿があった。
これは実物を見ていないので詳しくはわからない。突入した職人が上げた
「あぁ死んじゃってる。真っ黒だ。くせぇくせぇ」の声を聞いて
さすがに恐ろしくなって、その晩は友人宅に身を寄せた。
現実の死に立ち会ったのはこの二回だった。



彼らの出来事以前の大学一年生の夏。
まだその頃は同期の学生がもう一人入居していたが、出る噂を聞いていて
夏休みが始まるやいなや帰省してしまった。
ぼくはバイトを探したりとふらふらしていて帰省もせず部屋に居残っていた。
アパートに残っている人は一階の管理人以外はぼくだけという状況。
ある晩。自室で休んでいると廊下を行き来する足音がきこえる。
前述のようにこのアパートはいったん靴を脱いでから二階へ上がるかたちなので、
二階の廊下を歩く足音は自然とすり足のような塩梅になる。
すうっすうっという感じの足音。誰か帰省先から戻ったのかなと思った。
気にも留めないでいたが、足音は何度も廊下を往復している。
さらに足音に混じって、なにかが廊下を叩くような、こするような音も聞こえる。
ぱしっぱしっ。どうもほうきで廊下をこする、
つまり掃除をしているような塩梅である。
管理人さんか。一階には現管理人さんが住んでいる。
独身の中年男性であったが、細かいところに目の行き届く人だった。
アパート内の清掃は住人の自主性に任されていたので、僕らはそれをあまりせず、
荒れ放題に近い状態だったので見かねたのだろう。
しかしなぜ、こんな夜中に。
その点は腑に落ちなかったが、そのまま眠りに落ちてしまった。
翌朝、家賃の集金に来た管理人さんに清掃をさせてしまったことを詫びた。
「あれ、キミが掃除してくれたんじゃないの?」
清掃は管理人さんの玄関の方まで及んでいたようだ。
「俺のところまで掃除してもらっちゃったからお礼言おうと思ってたんだ」
「管理人さんがやったんじゃないんですか?」
「ちがうよ」
「でも、昨夜…」
「夜勤だったから今帰ってきたところ。昨夜はいないよ」



亡くなったと言われる大家の姉が住んでいた部屋は二階の向かって右奥の部屋。
鍵はかかっていないので、確かに入り口を開けて入ることはできる。
ほうきはその部屋にしか置いていないはずだった。

回転ちがいの夏休み

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一昨日は悪酔いというものをはじめて味わった。というか、悪酔いの果てというのは
自分には影響を及ぼさず、専ら周囲の人々にとばっちりを食わせるもののようで。
ビールを二本飲んだ辺りでマスターにそばめし関連のクレームを付けたところまでは
記憶しているが、その後がどうも不明瞭である。
無事帰宅はしたらしいが、枕元におびただしい量のうまい棒とよっちゃんの酢漬けイカ
散らばっており道程における出来事が推して知れない。
酔っぱらいってそんなもんでしょ。二日酔いしなかったので涼しい顔である。
結局居候はその夜は戻らなかった。



帰宅すると居候に満面の笑みで迎えられた。
食卓には久しぶりに腕を振るった夕げが用意されている。
見ると好物のちらし寿司もあった。
座れというので大人しく従う。
昨夜のことを訊こうかとも思ったが、その雰囲気ではないような気がしたので
ここでは触れないでおいた。関係ないことだし。
土産を渡していなかったと、なにやら大きな袋から幾つも包みを取り出す。
「全部これ、ぼくに?」量の多さにたじろぐのと素直に嬉しいのとで目を丸くした。
居候は得意げに頷く。
が、よく見ると大半が酒類、残りは物産品の食べ物だ。異臭を放つ包みはくさやの
ようである。
なにか純粋に喜べない、というと憤慨されるのでそのことばは飲み込んだ。
土産物というのは品物そのものの価値を推し量るより、旅先で自分のことを
思いながら品物を選んでくれたという事実が嬉しい。
と、ピーコが言っていた。いま、極めて御意である。
居候は床に広げた荷物の中からソフトボールくらいの包みを取り出し、
ぼくに差し出した。
「開けていい?」居候が頷くのを見留て包装紙を開く。
ちょっと肉厚の消臭ポットみたいなかたちのガラス器が現れた。
緑色のそれは、いなたい喫茶店などで使われるている耐熱ガラスのグラタン皿の
質感に似ている。
パイレックス…」ぼくは蛍光灯に透かしながらつぶやいた。
「なにを言うか。新島ガラスぞ」居候は憤慨した。
「え?有名なものなの?」居候を見た。
「日本国ではかの地でしか採取されぬ天然石を使用しておる」
「へー、そうなの」パイレックスの断熱ガラス器にしか見えない。しかし、
見たことないのでよく分からないがエメラルドのような色とでもいうべき緑色は、
なにやら高貴な印象もある。
「こいつでこれをやりたかったのだ」居候は別の包みを解く。
五合瓶ぐらいのサイズの薄黄緑色の液体が入っており『島自慢』とある。
「新島の地酒焼酎だ」ほくほくした表情で口開けする。
「香ってみよ」瓶を手渡される。注ぎ口に鼻を近づけるとなにやらやわらかな
木の実のような芳香だ。
「晩餐だ」瓶を奪うと嬉々としてテーブルについた。ぼくも後に続く。
居候は、その新島ガラスの杯に島自慢をとくとく注ぐ。緑に緑では華やかさも
少々残念ではあるが、グラスのオリーブ色は蛍光灯の下でも映えた。
カボチャのそぼろ餡かけ、きんぴらのかき揚げ、ウドとセロリの棒棒鶏
ワタリガニの味噌汁、ふんだんにアナゴを入れたちらし寿司。
ぼくの好物ばかりが並んだ食卓は、久しぶりに賑やかである。
「ほれ」島自慢を満たした杯をすすめられた。
おずおずと杯を合わせる。
「おめでとう」居候は破顔一笑だ。
「は?なにが?」意味が分からない。
「おぬし、誕生日であろ?」
「今日?ちがうよ」
「嘘を申すな」眉をひそめる。
「来月だよ、誕生日」
「なんと」慌てて暦を見る。
「…これはしたり」勘違いに珍しく恥じらっているようだ。
「されば、晩餐は撤回」
「なんでよ、いいじゃん」
「せからしか!」
「なんで九州弁なのよ?」
寿司桶を持って逃げ回る居候のあとを箸を持って追いかけ回した。

ラチエン通りのシスター

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週末を挟んで意地もそれほど持続できず、知らぬうちに「おはよう」
「行ってきます」ぐらいはしゃべるようになった。諍いがあろうとなかろうと
苦にならない行為ではあるけれど。
居候は週末をフェスティバル関係で堪能してきたようで、いち早くうやむやを
解消してしまったらしく、ぼくの態度など気に留めることもなく平素のままに
生活している。
この辺でクソ意地もフェイドアウトしよう。



少し早めに帰宅することができる。再度和解の盃をと思ったが、酒を買い込んで
自宅で飲み合うというのもなにか生臭い雰囲気なような気がしたので電話で
呼び出そうと思った。
「スカーラ」のような中途半端にがちゃがちゃしたところの方が、面倒な展開に
ならずに済むと考えたからである。
電車に乗る前に一度、下りてから一度電話をかけてみたがまたしても居候は不在だった。
N極とN極かぼくらは。
留守電に「スカーラ」にいるから来い、と残して駅向こうに足を進めた。
街のうら寂しい繁華街は、こんなところでも給料日後は活気づくものなのか、
平素よりも少し人通りが多かった。
たばこ屋の角を曲がろうとして、一丁先に見慣れたマント姿の人影が立っているのを見た。
なんだ、ヤツも店に行くところだったのか。
居候はなにやら辺りを窺いながらそわそわしている様子。
そして、誰かに呼ばれたのか右手を振り向き手を上げた。
ぼくは声を掛けようとして、慌ててやめた。居候に近づいてきたのはアケミさんだ。
なんなんだろう、別にそうする必要はないのだが電柱の陰に隠れて二人を窺った。
薄闇の向こうでアケミさんの真っ赤な紅の口元が微笑のかたちに動いているのが
ぼんやりと浮かんでいた。
二言三言言葉を交わすと、居候はアケミさんの腰に手を回し、街角へ消えた。
「?」なんだか分からなかった。
これが世に言う水商売界の同伴というものだろうか。
二人が消えた方向は焼肉店などが軒を連ねる、一般的な飲食店街の方角だ。
「ふーん」まめなことするもんだな。しかもアケミさん相手に。
より深度のある愉しみ方を心得ている居候の、その部分だけ感心した。


濡れた路地に看板が灯っているのを見留め「スカーラ」のドアを押した。
めずらしく店内にはサラリーマン風の二人連れが二組、テーブル席を陣取っている。
「いらっしゃい」マスターが低い声をかける。
「ども」いつもの席に先客がいるので、ぼくはカウンターについた。
ビールを注文し、店内を再び見渡した。
「あの…ユマさんは?」
「後で来るよ。遅れるって連絡あった」
栓を抜いてビールを注ぎながらマスターは応えた。
ぼくは会釈してグラスを取った。
「…同伴、ですかね?」
マスターは鼻で笑って
「うちはキャバじゃないからね。同伴なんかしても手当変わんないよ」
「そすか」ぼくは鼻白んでグラスを干した。
「ごめんね、手酌になっちゃって」マスターはソラマメの素揚げを皿に
盛りながらすまなそうに言った。
「まいっちゃうよ、こういうときに限ってアケミちゃんは当欠だし」
「トーケツ?」
「当日欠勤」マスターはカウンターを出てテーブル席へ皿を運んだ。
「?」さっきそこにいましたよ、と言いそうになって口をつぐんだ。
「ホントに、いい歳してちゃらんぽらんなんだから」
カウンター中に戻りながら、結構本気で憤慨している様子のマスター。
ここはあえてなにも言わない方がいいような気がした。
あの二人はどこへ行ったのだろう。ここへは来ない塩梅のようだ。
猫の手も借りたい様子のマスターを見かねて、ジョッキを運ぶのを請け合った。
テーブルに届け、空いたジョッキを下げる。
カウンターに戻ると枝豆が置いてあり、無言のお願いを申し出ている。
これも別テーブルへ届ける。
そんなふうに右往左往しているとドアが開きケタケタと笑いながら
ユマが顔を覗かせた。
「おはようございまーす」すでに酒が入っている様子で、頬を紅潮させて
すこぶる機嫌がいい。
「お連れさま、ご到着でーす」以前ここで親しげに話し込んでいたのを見かけた
中年男に腕を絡めてユマは店に入ってきた。
「遅いよ!早くして」マスターは少し語気を荒げた。
「はーい」全然真剣みのない声を返し、中年男をカウンターの端に座らせた。
「待っててね」にんまりした笑顔を残してユマはいったん店の奥に消えた。
マスターは中年男にもてなしのことばを掛け、キープのボトルを出した。
横目でこっそり窺う。
近くで見ると野性味を感じる中にも知性を忍ばせる、落ちついた風貌の
40後半から50代といった趣。スーツの着こなしに年輪が伺える。
これがダンディということか。
ぼくの少し離れた隣に大人の男が座っているのだ。
奥から出てきたユマはグラス、アイスペールなどのセットを携えて
大人の男の横についた。
「忙しいんだから専属になんないでよ」マスターはすかさず注意した。
「はーい」水割りを手早く作ると、少しふくれて立ち上がるユマ。
テーブル席へご機嫌を窺いに行く。「いらっしゃいませ」「久しぶりィ」などと
交わし、ウーロン割りを作ったりしている。
ふと見ると、大人の男は肩越しにそんなユマの姿をそっと見つめている。
離れたテーブルで笑い声をあげるユマ。
「…」
なにかうろ覚えのまま上空を眺めていて、不意に星座をかたちづくる線を
夜空に見つけてしまったような、そんな感覚。
大人の男は静かに水割りのグラスを口に運んだ。
大人の男はどこでユマと落ちあってここへ来たのだろう。
居候はどこへ行ったんだろう。当日欠勤させたアケミさんを連れて。
大人ってなんだ。
そんなことを考えるぼくはひどく場違いな空気を吸っている気がした。