David

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久しぶりに人並みな時間に帰路についた。
7時を回った辺りの帰宅電車の混みように、景気回復の兆しの報道は眉唾かなと
感じるものである。
帰宅電車というのは一日の疲れが募るのか、乗客に出勤時の60%程くらいしか
緊張感がなく、車体の揺れにまかせた振幅が大きく、ともすると足下を掬われて、
存外難儀なものである。
そんな弛緩した亜満員列車に揺られての帰宅も、なにか普通に働く大人といった趣で、
それはそれで気分のいいものだった。
地元の駅にたどり着いて振り仰いだ西の空がとっぷり暮れていて、さすがに
もう夏ではないなと実感する。
この頃は日が暮れると途端に肌寒さを感じるくらいになってきた。
個人的にはこれくらいの気候が最も好ましい。一年中こんなならいいのに。
なんだか年寄りみたいに、迫り来る夕闇の深みを味わいながら、
なんとなく商店街をぶらぶらしてみる。
絵に描いたような夕餉に備えての賑わいがそこここに繰り広げられており、
ふと小学生くらいの昔に戻ったような心持ちになる。
魚屋の生臭さ、肉屋の脂臭さ、八百屋の青臭さ。文字にすると顔をしかめることばに
なるが、それらは心地いいいのちの息吹をともなった臭さである。
ふいに食欲が鎌首をもたげてきて、いきおい惣菜屋で揚げたてのメンチカツ1個なんて
買ってみる。
晒し紙にくるまれた80円の揚げ物は手の中で湯気を上げる。
囓りつくと前歯に少ししみるような熱さだ。素直にうまいと思う。
メンチカツを頬張りながら賑わいの中を行く。
ここにいる皆が同じ目的で集まって皆同じようなささやかな幸せを
食卓に供するためにそぞろ歩いている。
なにかフワフワとするような柔らかな気持ちがこころに溢れる気がする。
そんなにギスギスしてるんかねえ日頃、なんて我が身を思い苦笑する。
でも不思議と寂しさのようなものは感じない。ぬくもりのおすそ分けを
頂いたような気分だ。
食べ物の匂いに背中を押されて、夕餉へ思いをはせる。
居候は食事を用意していてくれているだろうか。今夜はなんだろう。
一目散に駆けて行って温かな灯りの下、湯気を上げる食卓につきたい。
子どものような感覚と子どもの頃では感じなかった郷愁のような感覚に
突き動かされて、歩を早めた。