大切なもの

代わりになるものが多い。代用品だ。
マーケティングだか嗜好分析だか知らないが、
世の中の動きも、個人個人の感情も、
どこ押したら何がでるっていう刺激と反応の仕組みも
み〜んな計算尽くで理解されてしまって
かくなる上で代用品が出回る。
あたりまえのことだが、たとえば犬を飼いたい人が
AIBOを買ってきて満足するはずないじゃないか。
でも、する。
人気だったり注目されてたり、なんだか知らないが
それがステータスだったりってことで、で、満足する。
同僚は「結婚したい」という。
『誰と』ではなく『結婚』がしたいという。彼女みたいなものはいない。
少女マンガにでてくる「恋に恋する乙女」というところか。
恋がしたい恋がしたい恋がしたい」というやかましいタイトルのドラマがあったが
あれもまた、言ってみれば日常の代用品を夢見る群像劇だった。
実りを結びたい相手との実りを結ばない逢瀬につぎ込む金があったら
同じ金額で別な満足を得た方がいいのではとも言う。代用品で。
いつからぼくらは、そうまでしなければ心の動かない生き物になったのだろう。
かたちある刺激でなければ感じられなくなったのだろう。
代用品で満足する平板な欲求に満ちた借り物の人生。
バーチャルですまされてしまったぼくらこそがバーチャルだ。


汗を流してマントを羽織る居候の背中を見て
この人の中には自分だけのホンモノがあるのかなと
ふと思った。