慕情

休日出勤がないとわかっていたので、土曜日は
自分に嫌気がさしてくるまで布団を出ないと決めていた。
んだけど、8時半くらいに居候にたたき起こされた。
ほんとにばしばしたたかれた。なんだ?と思ってみると
100円ショップかなにかで買ってきたようなパッティングブラシ
…最近見かけないバネ付の靴ベラの「ベラ」の部分に
柔らかいイボ山がついたブラシ、これで頭皮をたたいて血行促進…で
ボカスカたたいて「出かけるぞ」
見れば居候はどこから持ってきたのか、浴衣に丹前を着込み
手ぬぐいを首に巻いた出で立ち。
「どこに行くの?」
「湯殿だ」
いい場所をお隣さんに教えてもらったので案内するという。
なんのことやら分からないが、居候が喜喜としているときに
水を差すとえらい剣幕になるので、めんどくさかったけど起きあがった。


はしゃぐ居候のあとを渋々ついて出た。
昼前と言えどかなり気温は高い。
丹前など着込んでいる居候は2分もたたないうちに汗だくになった。
「脱いだら?それ」
「浴衣だけで往来に出ると取的になってしまう」
「なにも出かけるとこから浴衣じゃなくたっていいじゃん」
妙なところで意地を張るのは居候の常、ほっとくことにした。
駅に着くと、今まで気がつかなかったが派手な着彩の
マイクロバスが停車している。車体の表示を見て
「なんだ。健康ランドか」
「見くびるな。薬湯があるぞ」
「ヤクトウ?」
「効能があるのだ」そういって居候はぼくの側頭部をぱしぱしたたいた。
バスの中であれやこれや仕入れてきた能書きをぼくに聞かせた。
それらは効能…端的にいえばハゲに効くのかどうかは疑問だったが
いろいろ気にしていたくれたことはわかったので、黙って聞いていた。


ロビーで、着用を義務づけられている色彩の派手な
なんていうかムームーのような呆れた装束を、居候は頑として受け取らず
係員と一悶着おこしたが、ついにはあきらめロッカールームで身に纏った。
ぼくはヤツには似合っていると思った。
ハラを決めると居候は「浄土浄土」とはしゃぎながら
ぼくの手を引いて様々な施設をハシゴした。
「打たせ湯」「水風呂」「電波風呂(?)」「石風呂(??)」「ジェットバス」
「ダブルジェットバス」「吹っ飛ばす」「フットバス」「漢方風呂」
トルマリン風呂」「夜光風呂(???)」「蒸風呂」「薬用蒸風呂」…
いくつあるんあだか忘れてしまった。フラフラになりながら
「いつまで入ってるの?」
「一日券を買ったんだから夜更けまで謳歌するのだ!」
背中をピンク色に上気させたジジイのあとを
湯あたりで戻しそうになるのをこらえながら、ぼくは必死の思いで追った。


11時…23時半。居候の呪縛から解放されぼくは帰宅の途についた。
ヤツはぎりぎりまで粘るといって残った。
「日頃の疲れも皆、湯に流せたろう」
別れ際、そう言って居候は悦に入っていた。
確かに疲れは抜けたかもしれないが、それ以上に
ぼくは生気まで抜けていた。
その心遣いにだけ感謝しておくよ。