夏を愛する人は

昨日の騒動についてなにか書いているかと思えば
居候のブログは、そのことには微塵も触れず
なにやら世間を見遥かしている。
こんなことを言っている
居候さんよ。
あんたはそう思ってるかもしれないが
じゃぁぼくがあんたに「バカ」と言ってやりたいよ。


確かにむかし、父親にバカとよく言われた。
大事でも小事でもなにか失敗すれば、バカ。
意見というか考え方というかがぶつかれば、バカ。
自転車をパンクさせれば、バカ。
海で溺れそうになれば、バカ。
鼻血を出したといえば、バカ。
バカ、バカ、バカ…。


ねぇ居候。
確かにぼくはあんたに甘えたかったのかもね。
こんな言われ方をしてたんだってこと告げて慰めてほしかったのかもね。
でもちがうんだよ。
あのとき、たしかに「言われたことある」ということだけを言った。
罪を犯した彼と同じ轍を踏まずに父親から離れることを選んだ。
だから父親に言えなかったことがある。
それをわかってほしかった。
バカならバカでいい。
「バカ」っていわれるんならそれでもいい。
ほんとに「ばっかだなー」と思うんならそれでいいよ。
でもね。
バカをみつめてる、その眼を感じたかったんだ。
バカを気にしてる、そのこころを感じたかったんだ。
いつも、いつでもおんなじじゃない、さっきのバカといまのバカはちがうバカで
言ってるそばからまた失敗してるバカだけど、でも今目の前で失敗をしてる
その瞬間のバカをみつめて伝えてよ。
「バカ」の一言ですまさないでよ。一言だけでかたづけないでよ。
そんな簡単に、いつも同じ一言でかたづけないでよ。
バカがきらいなら、バカを見ていたくないんなら
それもめんどくさがらずに伝えてよ。
愛情の裏返しだっていうなら、いまのぼくがどれくらいバカかをきちんと伝えてよ。
それを感じられる言葉をもう一言、ふた言くっつけて
目の前のバカは特別なバカなんだという気持ちを伝えてよ。


バカは死ななきゃ治らない、っていう。
そうかもね。
結局父親にはバカと言われつづけて、手をあげることも危めることもせずに
すれちがったままだけど
お互いピンピンして、お互い離れたところで「バカ」だと言い合ってる、いま。
しあわせなのかもね。
もしかしたらバカを認めあえて、それを伝えられることが
そのうちあるかもしれないし。


居候の言ってくれた言葉うれしかったよ