ミスター

隣の席の山田は同期入社の最後のひとりだ。
2年浪人して2年留年しているのでぼくよりもグッと年上だ。
酒グセが悪い。山田はタチの悪い酒飲みだ。
とはいえ課長のそれとは違ってシモには走らず、なんというか
自滅型とでもいうようなハレの酒飲みだ。
決して酒に強いわけではない。酔うとすぐ寝る。
すぐ寝てしまうので逸話の数々を残す。
去年の新年会では早々にメートルを上げて二次会で意識を失い、
このあとは辞退して帰宅するからとそこで皆と別れたが、
終電も出てしまったあとなので仕方なくオフィスで寝ようと
社に戻ったところまでは良かったが、その時点ですでにもうろうとしていて
エレベーター内で力尽きてしまった。翌朝一番乗りで出社してきた
韮崎さんが発見したときは、ラガー刑事殉職のように
開閉するエレベーターのドアに挟まれ続けて寝ていたらしい。
山田は自宅から最寄り駅までの移動に自転車を利用している。
しとどに飲んだときでも駅駐輪場から自転車を引き上げることを忘れない、
感心な一面もあるがこれがアダになる。
縦も横も分からないくらいに酔って帰宅の途につき、駐輪場までたどり着いたが
そこで力尽きて寝てしまう。こんなことが度々あり、そのうち何回か通報されたり、
通りかかったパトロールの警官に保護されそうになっている。
何度も何度も同じ警官に起こされており、その都度「まーたキミかっ!」と叱責される。
眠りに落ちずフラフラで自転車を運転し、トップスピードのまま電柱に激突し
右まぶたを切ってしまったが、なぜかその状態がおかしくて仕方なく
ゲラゲラ笑いながらその足でコンビニに立ち寄り、血をダラダラ流しているのに
気づかないまま歌舞伎揚なんか買おうとして店員に通報されたこともある。
電車で帰宅するのも困難だ。
寝過ごすことは通例だが、終着駅で下ろされ駅舎前で倒れて眠りに落ち、
そのまま気がつくと履いていた靴を盗まれていたこともある。
泥酔者というのは計り知れないもので、山田はなぜかその駅から会社のある
仲御徒町まで恥じらいながら靴下のままで移動し、会社の近所のコンビニで
健康サンダルを買って帰宅したという。
超過移動分をタクシーなどで解消できるときはいいが、持ち合わせが乏しいときは
迷わず歩いて帰ろうとする。しかし革靴での競歩まがいは存外つらい。
試みに、行き過ぎるトラックなどに親指を掲げても当然乗車を許可されることはない。
メロスになった気分で、ただ前を見つめ歯を食いしばって歩を進める。
そんなとき山田のアタマの中ではロバート・マイルズの「Children」
ひたひたと流れ、勇気が沸くのを感じるそうだ。
夏の暑い盛りには一刻も早く解放されたかったのだろう、駅改札を抜けたところで
落ちてしまい、知らぬ間にスラックスを脱いで朝までそのまま寝ていて
目を覚ましたときは通勤通学の足を止める見せ物になっていたこともある。
何度失敗を繰り返しても、山田は酒を控えようとはしない。
本人が述べるには取り立てて美味いと思って飲んでいるのではなく、
ただひたすら酔いたいのだそうだ。
「アルコールの錠剤があったら酒やめてもいい」
馬鹿は楽しい生き物である。