夏をあきらめて

土曜日、関東地方はのきなみ30度超を記録する真夏日となった。
ぼくは前日残業のため終電を逃し、隣の席の山田とオフィスに泊まった。
翌日は特に休日出勤する必要もなかったし、先に述べたような
うだる陽気だったことも手伝って、空調の効いたオフィスからなかなか離れられず
山田と共にくだらない話などしながら、午前中めいっぱいを無駄に費やし、
正午過ぎに退社した。陽射しは目を背けたくなる猛々しさだ。
6月半ばからすでに猛暑の兆しを見せ始めている東京だった。



これまでは一人暮らしだったし、日中はおろか週のうち何日かを
外泊していたこともあって、ぼくの部屋の光熱費は他の同環境のもののそれより
遙かに下回った金額だった。
ところが居候が居候し始めてからこっち、光熱費の請求に目を疑った。
とにかく電気料金が異常に高額だ。
日中居候がのべつ幕なしに暖房器具を使い倒しいた結果だった。
年寄りは寒がりだ。健康を祈念して毎朝乾布摩擦などしているものの
3分もしないうちに手ぬぐいを放り出し、炬燵に潜り電気ストーブを背負い
ホットカーペットに横臥しエアコンのヒーターを28度に設定した。
そんな状態で一日を過ごされていてはひとたまりもない。
当初、なにが原因でこんな高額の光熱費になるのか見当もつかなかったが
ある日一日を居候と過ごし、その惨状を目の当たりにして合点がいった。
「暖房器具は午後7時まで使用禁止」ぼくは居候に命じた。



この禁止令を発したのが3月半ばでもうすでに陽気は、多少我慢すれば
やり過ごせなくもないほど和らいでおり、居候は涼しい顔で応じた。
暖房器具使用の節制による光熱費の軽減はあまり効果を見せぬまま
春をやり過ごし五月。
花粉の責め苦もようよう緩和されたあたりから、また光熱費が上昇し始めた。
察しはつく。エアコンだ。
居候は、燦々照りつける初夏を思わせる陽射しの中でもマントにブーツ、
ウエットスーツみたいな奇天烈な装束を止めようとはしない。
当たり前に暑い。暑いのでエアコンをがんがんにつける。
いくら汗ばむ陽気とは言え、朝っぱらから18度の設定で強風吹きさらし。
たまったもんじゃない。
ぼくは直ちに居候にエアコンの使用を全面的に禁じた。
これには居候も大いなる抗議を叫んだ。
「文句があるなら出て行け」ぼくは啖呵を切ると居候は不承不承従った。
そんな下りがある手前、家に帰ってもエアコンをつけることは出来ない。
いや、つけてもいいのだがなにか申し訳ないような、意地が許さないような。
だからこの土曜日も家に帰りたくなかったのだ。



ぼくの部屋は二面採光だが方角は南と西。
日中陽光には恵まれているが、恵まれすぎて室内で日焼けする。
午後から日暮れにかけては西陽で日光写真を焼き付けられるほど。
これからの季節、室内に丸腰でとどまることはほぼ不可能である。
そんな部屋にエアコンなしでくつろげるはずなく、くつろぐどころか生存も危うい。
気が滅入る。重い足取りで部屋に向かう。
駅からの一本道は逃げ水が揺らめくほどの日盛りだ。
外気温プラス7〜8度の室温をおもんぱかり、もう汗だくになる。
意を決してドアを開ける。思った通り石垣イチゴの栽培ハウス並みの室温。
「ただいま…」
返事はない。?と思い室内を見やる。
窓は開放されているが通風はない。どんよりとした空気が淀む。
靴を脱いで上着をはぎながら室内へ進むと黒い固まりが横倒しになっている。
「?」固まりは居候だ。伸びきってピクピク痙攣している。
「どうしたのさ!」駆け寄って抱き起こす。
居候は白目をむきそうな状態でアフアフいっている。



それからどうしたかはっきり憶えていない。
ビニール袋に氷を詰めたものを居候の顔に乗せ、なにか聞き及んでいた伝承で
『馬肉を脇の下に挟むと熱がひく』を思い出し、
冷蔵庫にあった豚バラ肉を居候の脇に挟み、これまた伝承の
『秋ナスは体を冷やすので妊婦に与えてはいけない(秋ナスは嫁に食わすな)』
にしたがい、居候に仙台長なす漬けを5本ほどほおばらせた。
今考えれば救急車でもタクシーでも方法はいくらでもあったのに、
なぜかぼくは、ぐったりした居候を背中に縛り付け
白い日盛りの下を病院へ走った。
「たすけてくださいぃぃっ」病院の受付で倒れ込みながら叫んだ。



熱中症だった。
ここ数日、40度を上回る室内にあって、意地っ張りの居候は窓も開けず
汗をかくからと水も飲まず日中を過ごし、夕刻以降は
耐え抜いた自分に褒美とばかりビールをあおっていたという。
「…バカ」呆れてなにも言えなかった
点滴の管を腕から伸ばして、居候はばつの悪そうな顔で黙っていた。
「…バカだよ」なにも言えなかった。
居候のバカさ加減をなじる言葉に詰まったのではなく
あやまる言葉がなにも言えなかった。
病院は病院のくせに肩をすくめるほど空調が効いていた。