ライク・ア・バージン

ひとは生まれながらに不幸を背負うこともある。



営業事務で派遣されている女性が課にいる。
隣の席の山田などはセクハラすれすれに熱い眼差しを注ぎながら
「いい女だよな」をしきりに連発する。
確かに。ぼくもそれを厭わない。いわゆる美人というものだろう。
背がすらりとしていてヒールがよく似合う、美容部員の経験もあるというその女性。
ひとは生まれながらに不幸を背負うこともある。
彼女の不幸は名前…名字だ。
名を「喜結目さん」という…おわかりになるだろうか。
ヒールが似合い、スタイル抜群で隣の席の山田を妄想の虜にしてしまう
いい女。その名前を「きむすめ」という。
「きむすめ」といったら普通「生娘」となる。
品のなさを懸念せずに言えば、いわゆる「ちょーいいおんな」が「生娘」なのである。
いい女の喜結目さんが派遣されてきた初日、課長に促されての自己紹介
「初めましてきむすめです」
隣の席の山田はすかさず「うそつけ」と小声で突っ込んだ。
失礼とは思ったがぼくも笑った。
課全員でささやかに歓迎会をした折り。課長の手クセの悪さを早々に察知したのか
喜結目さんはぼくや山田、韮崎さんなんかがいるあたりの席に着いた。
ここぞとばかりに「俺、山田です。よろしく」と距離を詰めた。
「こちらこそ。きむすめです〜」小首を傾げた魅惑の微笑。
「うそつけ!」僕ら全員声をそろえた。
喜結目さんはきょとんとしたが、次の瞬間手をたたいて笑っていた。
いい女の喜結目さんは陽気な人だった。
中・高・大学までのミッション系女子校の出身だそうで、社会にでるまで
自分の名前が、なんというかそぐわないというか妙な笑いを誘うことに気づかなかった。
就職活動を始めて、面接で名乗るたびになにやら
場の空気が微妙に震えるのが不思議だった。
ひどいときなどは面接官に「あなたが生娘…」と尋ねられ
「ハイ、わたくし喜結目です」
『ハイ、わたくし生娘です』この感触を楽しまれたのだろう、
何度も名乗らされたことがあったそうだ。
「もー慣れちゃったんで、どうでもいいんですけどね」喜結目さんは言う。
「名前いったら『うそつけ!』っていう反応は合コンとかの定番ですね」
最近は名前のギャップを武器にするようになったという。
そんなしたたかな一面は生娘のそれではない。
ぼくじゃないそう言ったのは韮崎さんだ。
少し酔いが回ったのか、ほんのり桜色に頬を染めた喜結目さんは
ほんとに生娘のようなかわいらしさがある。
ぼくじゃないそう言ったのは隣の席の山田だ。
ぼくは…。
ぼくが思ったのは彼女自身も大変だが「生娘」と読まれる名字の
彼女のお父さんのこれまでの人生、胸中いかばかりであったかということだった。