夏色のナンシー

課長が復帰した。
本来なら水曜には退院していたはずなのだが、
大事をとって昨日まで休みとしていたようだ。
大事というのがなんなんだかわからないが、普通なら
金曜出て土日また休むなんて日取りにはしないだろうに。
ついでに休むみたいなことが許せなかったのだろう。
そこが課長の体育会気質というか、不器用というかそういうことだ。
じゃ、大事ってなんだったんだ?



入院していた約一週間、様々なことがあって改めて
課長に敬意をもったり、呆れたりした。
とにかく課長あてにかかってくる電話の本数が半端じゃなく多かった。
考えてみれば就業中の課長は、その時間のほとんど受話器を持って過ごしていた。
「電話交換手みたいにヘッドセットつけたらいいんじゃないすか」
隣の席の山田が進言したほどだ。
入院中は課のものがその電話にでて事情を説明することになるが
相手というのが多種多様。取引先もあれば出向している現場からのものだったり、
「支払が滞っている」という消費者金融や、よくわからないが
ダミ声で「宝塚記念の○○が…」というものまで。
一番すごかったのは「カチョサン、カチョサン?」というどこから聞いても
日本人じゃない女性からの電話。これが入院した翌日から30分おきにかかってきた。
「どちら様でしょうか?」こちらが尋ねても
「カチョサン、ナゼ?」としか応えないで、しまいには涙声になる。
すったもんだしてどうにかこうにか名前を聞き出すと
「ワタシ、ナンシー」
課長が夜な夜な遊び回っているそのテのお店のホステスさんなのだろう。
ナンシー嬢は「カチョサン、ドシテ?」と「I miss you」と「ガンバルヨ」ばかりを
ただただくりかえす。わかったからこんなとこでガンバルなよ。



「コムスタカ」ある朝、出し抜けに山田がそう言う。
課のものらはナンシー嬢の度重なるコールに辟易していたが、
唯一隣の席の山田だけは彼女からの電話に、親身というか熱心に応対していた。
どうやらさめざめと泣き崩れるナンシー嬢をなだめているうちに、
通じあわない会話ながら店の場所を聞き出し、課長の事情を説明に行ったらしい。
もっともらしい理由だが興味津々で遊びに行ったのだ。
ナンシー嬢は年齢を24歳だと申告したが、どう見ても20歳前の娘さんだった。
意気投合とは行かないが、しょんぼりしている彼女を
なんとか元気づけようといろいろ話しかけた。
「コムスタカ」はそのとき憶えたタガログ語の「お元気ですか?」
ナンシー嬢はフィリピンの女性らしかった。山田が何度「コムスタカ?」と
声を掛けても彼女は首を振るばかりであった。
あまりのしょげかえりように冷やかす気分も雲散霧消し同情してしまったという。
日本語があまり得意ではないのでなかなか理解が難しかったが、
同僚のホステスさんやボーイなどの説明もあってことのいきさつを知る。
ナンシー嬢が勤め始めて間もなく課長と出会い、一気にホームシックに陥って
しまったという。
「タタイ…」といって見せられた写真には大家族の真ん中で白い歯を見せる
精悍な男性がいた。
「たまげたよ」見せられた山田も目を疑うほど、その男性は課長に
酷似していたらしい。『タタイ』とはタガログ語の「おとうさん」
以来ナンシー嬢は課長のことを「タタイ、タタイ」と呼んで慕っていたという。
バーテンさんの話では課長も週に1〜2度は必ず店を訪れていたらしく、
あのセクハラ大王がナンシー嬢の前ではとても紳士的に振る舞っていたようだ。
それが今回の緊急入院で消息が途絶えてしまいナンシー嬢は塞ぎ込んでしまった。
「カチョサン、ワタシ、キライ?」その言葉の切ない響きを聞いたとき
隣の席の山田は奥歯がきしむほどこみ上げるものを抑えられなかったという。
この間の日曜、山田はナンシー嬢を課長の病室に連れていったらしい。
課長には知られたくない部分のことだろうとおもんぱかって、
自分が連れてきたことはきつく口止めして、病室の外から背中を押してやった。
「タタイ!」歓喜の涙声と「ナンシー?どうして…」と驚く課長の声。
しばらくの間「タタイ、タタイ」というすすり泣きと
「ごめんな」という課長の声が続いていた。



相変わらず無駄に大きな声で、いやがる女子社員に手術の跡を見せたり、
手術前の処理の際に看護士をからかったことなど、くだらない話で
一人で悦に入っていた今朝の課長だった。
ぼくは山田の恐らく3割増くらいの逸話を聞いて、ふと家族を思った。
週末には弟が帰国するとメールが届いていた。