そして僕は途方に暮れる

夏休みも始まったばかりだというのに、弟はもう向こうに戻るらしい。
今年から姉妹校親善ということでミネソタのなんとか高校に交換留学している。
その弟が先週末帰省するというメールを父親からもらっていたが、
どうも明日には発つというのだ。
サラリーマンの盆休みでもあるまいに、もう少し逗留していればいいものを。
あいかわらずつかみ所のないやつだ。


ぼくに言われたくはないだろうが、弟はぼくに輪を掛けてフラットな人間だ。
なにを考えているのか分からない。そのくせ頭からぼくを否定してくる。
「だから兄貴はダメなんだ」
「兄貴が選んだならそれはまちがいだ」
「兄貴と同じことはしたくないよ」
一緒に暮らしているときは、二言目にはこういう感じ。いいんだけど。
おかげさまで弟はなかなか成績もよろしく、そういった意味では
周囲の評判もいいようだ。
口数が少なくたまにしゃべると天然で面白い…とかいうならひねりも利くが
無口な上にたまにしゃべると人を見下したことしか言わない。
ま、見下される素養があるぼくも問題だが。
好きなものとかあるのだろうか?思い返してみる。
小学生の頃はカキフライが無類の好物で、そのあおりで英語の12ヶ月を
9歳ぐらいで分かっていたぐらいだが、6年生だったかの誕生日に食べた
カキフライで大アタリして嘔吐が止まらないわ高熱を出すわで、以来
カキというか魚介類全般を忌むべきものとしてしまった。
その後なにかを好んで食べている様子はなかったように思う。
スポーツに類するものには全く縁がない。
文化・芸能に関してはどうだったろう。昔、これも小学生の頃だったと思うが
まだその頃はアニメなんかを人並みに見ていたが、ポケットモンスター
番組中で烈しい色彩効果を含んだ演出のシーンを見て、てんかん似にた症状を
起こしてから過度にテレビを避けるようになり、好んで番組をチェックする
ようなことはなくなった。ぼんやりと見ているといつ足下をすくわれるか
分からないといった不安を常に抱えているといっていたように思う。
ラジオが好きだったかな。これも小学生の頃だったが誕生日に手作りの
キットラジオをもらってから一時期夢中になり、ハンダゴテなんかを使って
不細工なラジオを組み立てて悦に入っていた。
イヤホンを挿して細々と聞こえるアナウンサーの声にじっと耳を傾ける小学生は
身内でなければ見ていて気持ちのいいものではなかったろうが、
弟はそういう子どもだった。



ここまで思い返してみて、ぼくのなかの弟は小学生の頃の姿ばかりだと気づく。
弟は今17歳だ。10歳近くも離れていればなにをしても手放しでかわいいと
思いそうなものなのに。
ぼくらの関係は冷え切ってはいない。対立もしていない。
もっとも身近な対象として特別な意識もしていないと思う。
弟がいる。ぼくがいる。
これはぼくの両親が親であるということよりも近く感じることではない。
弟がいる。ぼくがいる。それ以上でもそれ以下でもない。
両親にも兄にも似ず鼻筋の通った整った顔立ちの青白い少年。
悪態をつく以外に兄と距離を縮めることはない17歳の少年。
カキに中たって、ピカチュウに足下をすくわれて、
鉱石ラジオにこころ振るわせていた小さな人。
一緒に暮らしていた頃なら目の前にいるだけで得も言われぬ不快感で、
言葉など交わすこともなかったが、一人で暮らし始めた今、
なにかこころの余裕があるのか単に寂しいだけなのか、弟のことも
冷静に考えられる。
弟は明日成田を発つらしい。