Tomorrow Never Knows

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もっとも古いと思われる記憶はなにか?と尋ねられた。
居候は産道と思われる窮屈な道筋を抜けようともがいて、見上げた先に
産婆が手を広げて待ちかまえている様子がもっとも古い記憶だという。
…うそつけ。
自分自身が出産されるシーンを憶えてるヤツがどこの世界にいる。
それはまぁ大ボラだとしても、そのほかに産湯がぬるくて
追い炊きを要求したとか、母乳がまずくてもうこんなものは飲むまいと
心に決めたとかの記憶があると言い張る。
まぁいいさ。特別な人だと、そう言いたいんでしょ。
ぼくは。
もっとも古い記憶といわれて、はたと困った。
実を言うともっとも古いどころか、ぼくは一人暮らしを始める以前の
高校卒業するまでの記憶がない。ないわけではないが明瞭でない。
なにか特別な障害とかそういうことではないが、
とにかくはっきり憶えていないのだ。
この間、弟のことを思い出そうとしたときに彼が小学生の時のことしか
憶えていなかったが、それ以上に自分のことはほとんど憶えていない。
小学校時代は2年おきに転校を繰り返していたので、
まぁ記憶が定かではないのは仕方がないとしよう。
中学から高校へ上がる時分にまた転居したが、基本的には同じ街に住んでいた。
しかし学校へ通った道あいまいだし、友人だったものも名前と顔が一致しない。
だから大学以前までの友人というのは以後全く交流がない。
帰省した折りに高校の通学路をたどろうとしたが、全く憶えていなかった。
なにかまずい人のような塩梅に思う。
身にしみるわけではないが、この状態自体を思うと少し寂しい気もする。
ぼくは人との交流を避けてきたつもりはない。
いじめられていたという記憶もない。
かなりのびのびと好き勝手にやってきたし、高校の頃に活動していた
バンドもどきを一緒にやっていた連中のことは憶えているし、
その頃の愉快だった印象もうっすら憶えてはいる。
先生の似顔絵が得意でクラスのものらにせがまれて黒板に
描き散らかしていたこともかすかに憶えている。
いずれにしても不確定なかたちでぼんやり、だ。
その分大学生以降の、一人暮らしを始めてからが怒濤の日々だったので
それを憶えているだけでも精一杯だ。
で、もっとも古いと思われる記憶。
うまく言えないが、なにかこういつも「早く終わらないかな」ということを
考えていたように思う。悲観的なペシミスティックな気分ではなく
うれしいことも嫌なことも長くは続かないと思っていたので
「もういいよお」というかんじで。
なんだかイヤな子どもだったんだろうか。
いや、間違いなくイヤな子どもだ。
イヤな子どもでも自分のことだからしょうがない。
居候、こんなんでましたけど?(古)



高校の頃に買ったCDでも引っぱり出して聴いてみよっ。