夢の途中

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ユマは二十歳だという。



ここのところ居候がぼくの様子を非常に気にしているのは感じていた。
甚だしい暑さに少々まいっていたのも事実だが、それ以上に一昨日の
ハゲ会談の一件がこたえていた。その模様の逐一は伝えなかったが、
こころのどこかにしまい込んで忘れかけていた「我はハゲなり」という認識を、
こんなタイミングで白日の下にさらされ、落ち込んでいたのは確かだった。
そんな様子を見て居候は問い質しはしなかったが、気の落ちているのを
夏バテとか暑気あたりとかそのように解釈したようで、食卓に上げる献立も
スタミナを楯にしたようなもの中心だ。
「喰わざれば力なし」居候のモットーなのだろう。
気にしてもらっていることへは感謝を惜しまない。
そういった「元気を出して」政策の一環だったのだろうか。
昨夜は久しぶりに比較的早い時間に帰宅すると、居候につきあえと言われて
連れ出された。
駅向こうにスナックとかパブとかそういったタイプの飲食店が
軒を並べている一角がある。
もとより飲酒しないぼくなので、その辺りに足を踏み入れることはなかった。
居候はぼくを伴って「スカーラ」という、そんな一軒のドアを開けた。



「変わってる?そう?」そう言ってユマは小首を傾げた。
居候に連れられて入った「スカーラ」は、いわゆるスナックというタイプの
店舗なのだろう。カウンター数席と4人掛けテーブルが2席。業界事情は
明るくないが、今時いなたい感じの深紅のベルベット調生地で
床、壁が覆われている。
居候は顔なじみのようで、マスターに声を掛けテーブル席に陣取った。
「たまにはこういうところでハメを外して英気を養うがいい」
これも気にかけている結果なのだろうか。一般的に聞くハメ外しの
段取りとしては少し華やかさに欠けるんじゃないだろうかと思ったが
ここは何も言わないことにした。いずれキャバクラにでも
連れて行かれようと、どうせ飲むものはウーロン茶なんだし。
「スカーラ」にはホステスというのだろうか、女性従業員が二人いた。
一人は40代くらいと思しき恰幅のいい女性で、アケミさんというらしい。
名の、あまりのスタンダード具合に吹き出してしまった。
居候を見つけると「殿〜」といいながら隣に席取った。
「殿ではない、王だ」などといいながら相好を崩している。
そしてもう一人、こういった環境でなくとも珍しいのではないかと
思わせる黒い髪の痩せた娘がぼくの前に腰を下ろした。
「ユマです」娘は名乗った。
「…ども」慣れない状況に戸惑いながらぼくは返した。
あからさまにオドオドしているぼくを見てユマは笑った。
「飲まれないんですか?」確かに。連れてこられたとはいえ、
飲めもしないのに来るところじゃない。
「すいません」小さく返すと、また笑われた。
「変…だよね」しどろもどろになった。
「飲まない人、好きです」気が大きくなって良からぬ行為に出たり
暴力を振るったりしないから、とユマ。
そうとも限らないと思うが。第一、飲み屋に勤めていて
飲まない人の方がいいなんて。
「変わってるね」
「変わってる?そう?」そう言ってユマは小首を傾げた。



どれくらいそこにいただろう。
居候はぼくなど放ったらかしでアケミさんと二人でボトルを三本ほど
空にし、カラオケ三昧で大騒ぎしていた。
隣がうるさいのでぼくとユマはカウンターに移った。並んで座ったところで
会話もなく、ぼくもユマも酒がダメなのでウーロン茶をちびちびなめていた。
「殿はお父さんなの?」途切れがちだった会話の中でユマが尋ねた。
「ちがうよ」強く否定した。
「ふーん」不思議そうな顔。
「でも、似てる」
「え?」ぼくは戸惑った。
「なんかね、優しそう」
「…」
そんなことを言われたのは初めてだ。
居候と暮らし始めて半年近くになる。さんざ手を焼かされたこともあった。
ちょっとしたすれ違いで子どものように諍ったこともあった。
その度、なんでこんな奴と暮らしてるんだろうと自問していた。
でも、なんていうか。おしなべて楽しかったのかも知れない。
いろんなものを見せてくれたし、知らなかったことも沢山教わった。
おしなべて楽しかったのかも知れない。今はそんな気分だ。
「どうしたの?」しばらく虚空を見て感慨に耽っていたらしいぼくを
ユマは覗き込んだ。
「いや、別に」ちょっと照れ隠しみたいなことになった。
そんなぼくを見てユマは笑った。
ユマの肩越しに、腹にマジックで顔を描かれて悦に入っている居候。
それからユマを見て、ぼくも笑った。