プルシアンブルーの肖像

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「今日、ちょっといいかな?」喜結目さんに昨日の午後、声をかけられた。
何用かと問うと後で話すと言って要領を得ない。昨日は出がけに居候に
「本物の煮豚を食わせてやる」と寄り道を禁じられていたので少し迷ったが、
こういう機会もめずらしいので誘いに応じた。
待ち合わせの場所に居酒屋を設定するところが自分のことばかり考えている
様子が感じられて幾ばくか不愉快も感じたが、まぁいい。
自分で時刻を決めて誘っておいて平気で遅れてくるところも、まぁいい。
自分が誘えば誰でもしっぽを振ってくると思ってるんじゃないかと
感じさせる素振りも、まぁいい。
ってか、どうでもいい。
居候の「本物の煮豚」が気になってソワソワしていた。
いい女 VS 煮豚。この時点でぼくのこころでは煮豚に軍配が上がっていた。



陽が落ちてからも残る蒸した空気の中を来たせいか、少し汗ばんだ様子で
喜結目さんは現れた。
「ごめんね」2歳歳下だがいつの頃からかぼくとの会話に敬語は失せた。
中生とウーロン茶でとりあえずグラスを合わせた。
一口飲んで様子を窺い、落ちついた様子が感じられたので、
改めて用件を訊いた。
「相談したいことがあるの」伏し目がちに言う。
魔性とまでいわれる女性の身の上相談など請け合えるわけがない。
どうしたものか。鼓動の高鳴りを感じて、一人焦燥に駆られていると
喜結目さんは不思議そうな顔でこちらを見ていた。
慌てて何気ない素振りで、先を促す。
「相談ていうのは…」そこで言い淀む。
よく分からないがなにか照れているというか恥じらっているというか
言い出しかねている様子だ。
「やっぱりよそうかな…」勿体をつける。
言いたくないなら無理に訊かないが、と突き放してみる。
「冷たいなぁ」甘えたような物言いが鼻につく。
と言いたいが正直なところかわいい。とかいう気持ちに絆されないよう
留意しつつ、威圧感を与えぬように目を向ける。
喜結目さんはチラリチラリとぼくを窺いながら、まだ迷っている様子で
ジョッキをぐいとあおった。
平素から自信たっぷりな雰囲気を醸している喜結目さんだが
今日はなにか齧歯類のようにソワソワ落ち着かない。
中生を飲み干すとため息をひとつつき
「こんなこと話せる人、他にいないから…」潤んだ目でぼくを見る。
しばらくそうしてしどけない様子を見せていたが、意を決したように
「見て」髪をかき上げてうなじをあらわにした。
否、うなじではなく後側頭部だ。
目を見張った。小指の先ほどだが二箇所地肌があらわになっている。
「ねえ、これって…」円形脱毛症であろう。
ぼくはなかんずく気まずい気持ちに圧された。
喜結目さんは力無く腕を下ろし、からになったジョッキを見つめた。
ぼくはかける言葉も見つけられず、しょげかえった姿を見やるばかり。
押し黙った時間が過ぎた。
「お…」なにか言わなければと焦ったぼくは
「お察しします」
喜結目さんはぼくに目を向け、それから吹き出した。



つまりは力になれないのだ。ぼくは詰まりながらも自らの状況を述べた。
ぼく自身も自分のハゲに手こずっているし、うまい対処方法も分からない。
剃髪するという最終手段もあるが、それでどうなる。
精神的な症状であることも報告されているので医師の診察を受けるのが
最良の選択かも…。
自らに問いかけ自ら答えているような気がした。
「そのぐらいなら知ってるよ」使えない奴と言う印象を隠しもしない。
「わたしは痛みを分かち合いたかったの」
難しいことを言う。こんなことを前提に詰め寄られても…。
「ハゲのこと以外ならきみのこと、積極的になれたかも知れないよ」
強がった言葉を吐いてもハゲ、聞かされているほうもハゲ。
ざらついた空気のなか背筋に嫌な汗が伝う。
粗挽きマスタードをつけた煮豚が本当に恋しかった。