僕がどんなに君を好きか、君は知らない

宴の後はシエスタである。
後片付けすらも共同作業の新婚黒坂夫妻に面倒を任せ、皆食後の休息を貪る。
陸に上がったセイウチのように弛緩して横たわった韮崎さん。
その腹に頭を預け、赤べこのように上下に揺れる課長。
本来ならこのタイミングで真っ先に寝入るはずの隣の席の山田は、
アルコールの誘いがないため正気を保っている。
逆にぼくは勢いに任せてのどを潤した分、まどろみを伴う高揚感に浸っていた。
女性陣は集まってマネ作「草の上の昼食」よろしく、木陰にくつろぎながら
談笑に興じている。
メガネの山田さんがこっそり買ってきたガリガリ君をもらって
ベンチに並んで腰を下ろして囓る。
こめかみに来る痺れと共に冷却されていく火照りを感じながら遠くを見つめる。
混まないうちに出なきゃと、山田さんはこころにもないことを言う。
足を投げ出した姿は、あと2時間はこのままでいたいと訴えている。
緑の息吹をはらんだ風が過ぎていく。
ほんの一瞬でも煩わしさから解き放たれて、空白が意識を浸食していく。
離れて隣の山田がくゆらすたばこの煙がたなびいて催眠術のようだ。
仏像のような半眼になっていたであろう賦抜けたぼくの肩を喜結目さんが叩く。
日焼けしたのか酔いが回っているのか、めずらしく頬が紅潮している。
「ちょっといい?」
訳も分からず立ち上がらされ、喜結目さんは後に続けと促す。
ノースリーブの細い肩を眺めながらぼくは喜結目さんについていった。



「最近、避けてるでしょ」
山道を少し入った辺りで喜結目さんは低い声で問うた。
なんのことか分からず黙っていると、喜結目さんは続ける。
「みんなに話したんじゃないの?」
「?」
「エンケイのこと」
エンケイ…エンケイ…。
「ハゲ?」喜結目さんは拳を振り上げて殴るマネをする。
「大きな声で言わないでよ」ぼくは慌てて口を押さえる。
喜結目さんはフウっとため息をつく。
「気取った女がハゲだって知ったら黙ってらんないよね」
気取ってるんだと、変なところで感心してしまった。
「山田さんなんかと笑いものにしてるんでしょ?」
ぼくは無言で首を振る。
「陰でコソコソいろいろ言ってるんでしょ?」
ぼくは無言で首を振る。
「山田さんがあたしを見る目がなんかヘンだもの」
ぼくは無言で首を振る。
喜結目さんはプイとむこうを向いて黙り込んだ。
ぼくは無言で首を振る。なにかとても残念な気分だ。
「どうしてそう思っちゃったかな」喜結目さんは動かない。
「誰にもなんにも言ってないけど」
「うそ」
「うそじゃないよ。言う理由がないし」
喜結目さんはいつもの射るような視線で振り向いた。
「だって、おかしいじゃない?山田さんの態度」
「山田が?」思い当たる節がない。
喜結目さんの談によれば、最近隣の席の山田は以前のようにバカ陽気に
飲みに誘うことをせず、なにやら恐る恐る様子を窺うように
「頭、痛いの?」とか「頭痛は肩こりが原因なこともあるよ」など、
とかく頭に関する気遣いを見せているらしい。
別段、頭痛持ちであるわけでもない喜結目さんにしてみれば、
頭を気遣われるイコールハゲをからかっていると解釈してしまったようだ。
ぼくは無言で首を振る。
「ちがうよ」
「なによ?」
「喜結目さんの癖だよ」
「癖?」
「癖っていうか」
本人は気づいていないのかも知れない。
ここのところ喜結目さんは、恐らく無意識なのであろうが、
ことあるごとに後ろ頭の辺りを指先で押さえる仕草を繰り返している。
それはぼくも気になっていたことだ。
喜結目さん本人から頭髪の悩みを打ち明けられていたので、そうしてしまう
気持ちはぼくはなんとなく理解できた。
しかし隠された事実を知らない山田の目には、喜結目さんが偏頭痛にでも
苦しんでいるように映ったのだろう。思いを寄せる女性が苦しみを堪えて
職務に従事する姿にこころ痛めたのだろう。
「あいつ、心配してるんだよ」
「……」喜結目さんはうつむいて黙り込んだ。
さわさわと森の木々を揺らして風が通っていった。
「気にするなって言っても無理だろうけど」ぼくはおずおずと声を掛けた。
「気にすると余計ハゲるよ」
今度はマネではなく思いっきりひっぱたかれた。
「上を向いて歩こう」へつづく