上を向いて歩こう

足を伸ばして軽くバタつかせるとゆらりゆらりと水面が揺れる。
腕を伸ばして天を仰げば、まだ強い陽射しが頭上少し傾いた辺りで猛る。
「あああ」思わず声が漏れる。そこここから同じような声が上がる。
浸したタオルで顔を拭い、頭に乗せた。このスタイルはいつから定番なのか。


ラフティング場を後にして移動すること10分ほど。かねてより調べをつけておいた
立ち寄り温泉へ到着。
宴の酔いがしたたかなものもいたので、温泉立ち寄りは物言いがつきそうだったが、
むしろこれ目当てで来た課長やメガネの山田さんの強い主張により、予定通り湯を
浴びることになった。酔いのひとつも回っていない隣の席の山田にとっても
残された最後のイベント。外すわけにはいかない。
町営村営とかのもっといい加減な感じの佇まいを想像していた我々だったが、
宿の清潔さに感心した。いずれいい加減であろうとなんであれ温泉は温泉だが。
露天風呂ももちろんあった。大浴場とはいえない大きさだが、こぢんまりとした
湯船から臨む辺りの景色は、素で見るそれとは異なり、なにか格別の感だ。
半身浴の体でボーっとしていると、眠気のような酔いのような脱力に見舞われてくる。
バカなことでもしでかすかと思っていた山田は存外大人しく、手ぬぐいで顔を拭いて
「フ〜」みたいなため息をついて、まぶたを指で押さえたりしている。
「疲れた?」なんとなく声を掛けてみた。
「ん?いや…」遠くに目をやったまま山田は応える。
「ボデイシャンぷうじゃ、ボデイシャンぷうはないんか」洗い場で課長が怒鳴る。
山田さんはメガネを頭にずらして、岩に首を預けてのんびりしている。
目を覚まさなかったので窓を開放した車においてきた韮崎さんは大丈夫だろうか。
遠く女湯から鈴木シスターズと喜結目さんの「そんなヒロシに騙されて」がきこえる。
日盛りのなかの湯は気分もいいが、もうすでにのぼせているのかも知れない。
麻酔のような意識の鈍磨に任せて目を細めていた。
湯の爆ぜる音がして、山田が縁に腰掛ける。
少し離れて並んだかたちで共に遠くを見やる。
「飲みたかっただろ?」意地悪い訊き方にならないように注意した。
「…まあね」ぼそりと応える。
涼風が吹いて湯気のたゆたいを一瞬崩す。
かましセミの声がひときわ強まる。
「誘いなよ、飲みに」心にもないことなのについ口をついた。
「ん?」
「喜結目さんさ。俺もいた方がいいならつきあうけど」
隣の席の山田は黙っている。
「ガンガンいきなよ」変なことばだ。励ましのつもりだった。
山田を見る。うーんと大きな伸びをすると
「まずさ、酒強くなんなきゃな。俺」笑みを含んでそういった。
「おまえ、嬉しいと先走って潰れちゃうんだもん」
「まったくだ」
ぼくらは笑った。
山田はバシャリと湯を蹴り上げる。大きな放物線を描いて水玉が辺りに落ちる。
ぼくも蹴り上げる。山田もバタアシの体で蹴り上げる。
大きな水玉が辺り一面に飛び散り、端でくつろいでいたメガネの山田さんの顔に落ちて、
なにごとかと顔を上げる。
「こら!子どもみたいなことすなっ」課長に怒鳴られる。
ぼくと山田は笑いながらバタアシを止めなかった。