時の過ぎゆくままに

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気がつくと9月だった。
つくづく社会人になってから月日のけじめがままならない。
学生の頃はいわゆる○学期もしくは前期後期なんて分割されていて、
季節の別れめと共に、なにか気分も新たになるようなタイミングが
歴然としていたものだ。
勤めを始めると月末に収支決済などのポイントはあれど、おしなべて
スケジュールで活動するので、先月と今月のあいだに大きな差は感じられない。
気がつくと9月だった。
全くこんな感じ。2月なんか1日少ないのも気がつかない。
少し和らいだものの、まだまだ残暑は厳しいのである。



帰宅すると居候の様子がおかしい。
なにごとかと素振りには見せず案じていると、やたらと目が合う。
言いたいことがあるのだ。
なにか言いたいことがあって言い出しにくかったり、切り出すタイミングを
窺っているとき、決まって居候は黙ってジロジロとぼくを見る。
以前、朝からどうも妙な視線を感じていると、離れたところから
居候がこちらを注視している。気色悪いなと思っていると、
その手にマジックを握りしめて、ぼくの後ろ頭を見つめているので、
これは叶わんと慌てて家を出たことがある。
そんな時の視線に似ている。
スーツを着替えていても台所で水を飲んでいても、居候の視線が刺さる。
「なんなのさ」たまらず問うた。
咳払いなどをして居候は誤魔化している。
変なヤツと思いながら、ふとテーブルを見ると皿の上になにやらピンク色の
長いものが転がっている。
記憶にあるこのようなものはソーセージである。魚肉ソーセージというもの。
ざらりとした表面の感じも色も、紛う方無き魚肉ソーセージだ。
「なに?これ」分かっているくせに聞いてみた口振りになった。
「気になるか?」火をつけてしまった。
「別に」話を逸らそうとした。
「偽りを申せ」
「気になんないってば」
「ほれほれ」ぼくの目の前でくたくたと撓るピンク色の棒を揺らす。
鬱陶しいと払いのけようとしたとき香りが鼻をかすめた。
「?」甘い濃厚な感じの香りである。
「…なにこれ?」今度はほんとに興味がわいて問うた。
「いちごミルクだ」居候は歯を剥いて笑う。


その得体の知れないピンクの棒は、やはり魚肉ソーセージだそうだ。
しかも「いちごミルク」味の。
買い物をしていてマネキンに薦められたそうだが、どうにも勇気がなく
買うだけ買ってみたが試食を躊躇っていたそうだ。
魚肉ソーセージ。魚肉ソーセージっていったらアレだろ?
あのフゴフゴで生臭くて主義主張はなさそうなのにカレーなどに落とすと
人一倍膨れ上がっていて鍋を覗いたものを呆れさせる、あの。
いちごミルクってなんだよ。魚肉ともソーセージとも折り合いの悪い
このものらはどんな気持ちで彼らと結託したのか。
「いちごミルク」と誇らしげに書き込まれたパッケージはどう見ても
菓子の類の外観である。


「食え」居候はついと皿を薦める。
「…」
力尽き、如何様にもいたせと叫ぶ追いつめられたナマコのように
柔らかく硬直したピンク色の棒を切なく見た。
見かけに違う甘やかな香りは目をつぶれば触手も伸びたのかも知れない。
パッケージを見れば子どもの栄養補給に…的なこともある。
逆説すれば、魚肉ソーセージ本来のあるべき姿を知っている分だけ、
ぼくらは先入観で腰が退けているのだろう。
なにも知らない子どもたちならメーカーの毒牙にかけられるのかも知れない。
むしろ、これが基準となって生臭いいわゆるプレーンの魚肉ソーセージは
変な臭いの食べ物として後生忌み嫌われる存在として君臨するかも知れぬ。
貧富の差の激しかった昭和30年代、カレーの肉の代用品の覇権争いは
魚肉ソーセージとちくわがその筆頭だったと聞く。
ぼく自身もそうだが貧乏な学生時代、ディスカウントストアで5本パックが
5組束ねられていて、特価140円なんていう魚肉ソーセージを大量に買い込み
これを主食とし、日々のしのぎを削っていたこともある。
久々に再会した、戦友の変わり果てた姿を前に、変わったのはぼくなのか
彼なのかを自問した。