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学生時代に住んでいたアパートには幽霊が出た。



築40年以上の朽ち方を見せるその建物は、アパートというより下宿という
呼び方がふさわしかった。
今ではまず見かけなくなった、戸外に面して居室ごと独立した玄関を持たない
様式の構造。二階に住むものは玄関で靴を脱ぎ住戸内の階段を上って各部屋へ
入るという仕組みだ。
外見の旧態を隠そうという魂胆なのか、なぜか戸内の廊下、階段などは
非常に場違いなペパーミントグリーンのペンキで塗られており、
妙な塩梅ひとしおであった。
二階には廊下を挟んで左右に二部屋ずつ計四部屋、ぼくの部屋は南西に位置する
角の、これまた今時めずらしい四畳半。
ぼくにとっては今も昔も変わらないのが室内の開口部が南面と西面ということ。
四畳半の空間に似つかわしくない壁面がほぼ全面窓というありがたくない設え。
木枠の窓には当然エアコンなどは設置できず、夏期の日中は温室どころの
沙汰ではなかった。
学生時代から就職後1年のおよそ5年間をそんなアパートで生活していた。
学校から2〜3分の距離に位置し駅からの通学路の途上にあったので、
そのアパートは学生達には存外知られた存在であった。
友人や先輩などがそこに住んでいた経緯があると、より詳細な情報も流布される。
つまり、出るということに関する情報。
かつてそのアパートには管理人を兼任していた大家の姉という老女が
二階のある部屋に住んでいたらしい。とても面倒見のいい世話好きな人だったようだ。
この方がその部屋で亡くなったというのは事実らしいが、このくだりから派生して、
管理人の霊が出るという噂になった。



ぼくが住んでいた間にもいろいろあった。
前述のような状況のアパートなので、いまどきの学生は当然この物件を選ぶことはなく、
当時の入居者で学生はぼくだけだった。
一階にもいくつか部屋があるがここには現管理人と、詳しくは知らないが
ジェームス・ブラウンのような外国人が出入りしているのを見かけた。
ある時期、二階は40代半ばの男性、リュウマチを患う老婆、東北からきた
50代の肉体労働者の人とぼくが入居していた。
老婆はある日「救急車を呼んでくれ」とぼくにせがみ、運ばれていった先で
亡くなったらしい。その後、息子の奥さんという人が現れて礼を言っていった。
住戸の外に廃棄を待つ彼女の荷物が出されていた。その中に目覚まし時計が
あり、雨に打たれながらまだ秒針が時を刻んでいたのが奇妙に記憶に残っている。
それからしばらくして、老婆のいた空き部屋の向かいに入居していた労働者の姿を
見かけなくなった。
梅雨が開けも暑さも厳しくなろうという7月頃。
しばらくすると得も言われぬ異臭がアパート内に漂うようになった。
臭いの発生源はどうも例の労働者の部屋のようである。
入口には中から施錠されている。
大家が職人を伴って入口をこじ開けてみると、室内には布団に横たわったままの
死後数日経過したと思われる遺体となった労働者の姿があった。
これは実物を見ていないので詳しくはわからない。突入した職人が上げた
「あぁ死んじゃってる。真っ黒だ。くせぇくせぇ」の声を聞いて
さすがに恐ろしくなって、その晩は友人宅に身を寄せた。
現実の死に立ち会ったのはこの二回だった。



彼らの出来事以前の大学一年生の夏。
まだその頃は同期の学生がもう一人入居していたが、出る噂を聞いていて
夏休みが始まるやいなや帰省してしまった。
ぼくはバイトを探したりとふらふらしていて帰省もせず部屋に居残っていた。
アパートに残っている人は一階の管理人以外はぼくだけという状況。
ある晩。自室で休んでいると廊下を行き来する足音がきこえる。
前述のようにこのアパートはいったん靴を脱いでから二階へ上がるかたちなので、
二階の廊下を歩く足音は自然とすり足のような塩梅になる。
すうっすうっという感じの足音。誰か帰省先から戻ったのかなと思った。
気にも留めないでいたが、足音は何度も廊下を往復している。
さらに足音に混じって、なにかが廊下を叩くような、こするような音も聞こえる。
ぱしっぱしっ。どうもほうきで廊下をこする、
つまり掃除をしているような塩梅である。
管理人さんか。一階には現管理人さんが住んでいる。
独身の中年男性であったが、細かいところに目の行き届く人だった。
アパート内の清掃は住人の自主性に任されていたので、僕らはそれをあまりせず、
荒れ放題に近い状態だったので見かねたのだろう。
しかしなぜ、こんな夜中に。
その点は腑に落ちなかったが、そのまま眠りに落ちてしまった。
翌朝、家賃の集金に来た管理人さんに清掃をさせてしまったことを詫びた。
「あれ、キミが掃除してくれたんじゃないの?」
清掃は管理人さんの玄関の方まで及んでいたようだ。
「俺のところまで掃除してもらっちゃったからお礼言おうと思ってたんだ」
「管理人さんがやったんじゃないんですか?」
「ちがうよ」
「でも、昨夜…」
「夜勤だったから今帰ってきたところ。昨夜はいないよ」



亡くなったと言われる大家の姉が住んでいた部屋は二階の向かって右奥の部屋。
鍵はかかっていないので、確かに入り口を開けて入ることはできる。
ほうきはその部屋にしか置いていないはずだった。