遠く遠く

今年何度めかの真夏日を記録した土曜日、サイトーが訪ねてきた。
サイトーというのは、今では誰も取り立てて気にも留めなくなったが、
ぼくのアタマをトーテムポールのようなスタイルに仕立て上げた
自称ヘアデザイナーであり、高校の同窓生である。
同窓生というのが不安定な表現だが、在学中はお互いを見知ってはおらず
卒業後に同窓会で出会い、こちらに出てきていることを知ってから
友達づきあいを始めた。
卒業アルバムなどを紐解いて確認したのだが、今でこそさも美容に携わる者の
ような風体をしているものの、高校時代は五厘刈りのバレーボール選手だった。
エースアタッカーだったとは本人の弁だが、なるほど190cm超の身長を見れば
あながち嘘でもないと思わせる。
そんなスポーツ少年になにがあったのか知らないが、進学した大学を1年で中退し
美容師の学校へ進んで研鑽を積み、今日の自称ヘアデザイナーと相成った。
サイトーとの巡り会いというか友人関係を結ぶに至ったきっかけは
これまた妙なもので、高校時代、誰に言っても分かってもらえなかった
日本史の先生の口癖にサイトーも気づいていたという一点だけで
他はなんの趣味も合わないし、考え方も生き方もたぶん同じうするものは
なにもないのではないか。でも、なぜか気が合う。
気が合うというか一緒にいて気が楽だ。
そんなサイトーは年に1〜2回だけだが、ひょっこりぼくを訪ねてくる。



「俺って『三高』だからさぁツラいんすよ」サイトーは自らのことを
『高身長・高血圧・高脂血症』で『三高』という。
サイトーは念願の美容師になれたのはいいのだが、その高身長のため
ハサミを振るう際に中腰前屈みの姿勢を余儀なくされ、腰痛に悩まされている。
こういうと怒られそうだが身長が高いせいで血の巡りも芳しくないのか
高血圧であり、不規則な生活がたたって高脂血症もちでもある。
「おぬしは愉快な奴だ」初対面の居候とも酒が進むほどにうち解け、
いつも訪ねてくるとき持参してくる角瓶はもうほとんど残っていない。
下戸のぼくは一人蚊帳の外のような塩梅である。
「野菜を摂るがいい。それと納豆だ」居候の説教がましい口振りにもサイトーは
うんうんと頷いている。
角瓶が空いた。あたりめ少しでよくこんなに飲めるものだと目を丸くしていると
「酒買ってくる人選手権じゃんけん」とサイトーが叫ぶ。
飲んでいないぼくも巻き添えにしてじゃんけん…居候が負けた。
「王さま!レミーレミー」サイトーははしゃいだ。
「世が世ならオレ様は…」居候はブツブツと文句を言ったが
おとなしく買い出しに出かけた。ぼくの財布をもって。
「あー、おもっしぇ」故郷なまり丸出しにそう言うとサイトーは笑った。
からだじゅう真っ赤に上気したサイトーはまるでサラミソーセージだ。
「いつもよりペースが早いんじゃない?」
「うーん…」サイトーはむこうを向いてごろりと横になった。
ペースが早いだけでなく酔いの進むのも早いようだ。
「なんかあった?」何の気なしに問うた。
「…」
「別にいいけどさ」話題を変えようとした。
「俺さ」むこうを向いたままサイトーが口を開いた。
「ん?」
「…」
「どしたの?」
「いや。なんでもねーよ」サイトーは起きあがった。
「お前さ、あの経理の人、なんつったけ?」と、ゆらゆら揺れながらサイトー。
「吉永さんか?」
「そうそう。さんざんいい女だ、素敵だっていってたじゃん。どうしたよ?」
「どうもこうも、あの人結婚してるし」少なからず照れてしまった。
「いい人はみんな誰かのもんだな。うまくいく人はうまくいくんだもんな」
サイトーは冷やかしている素振りを見せながらそう言った。
「お前だって彼女いるじゃん。うまくいってる人だろ?」照れ隠しした。
「俺か?俺は」サイトーは言葉を探すように黙り
「どうかな。うまくいってるのかな」あたりめのカスを口に流し込んだ。
「うらやましくは思うよ」強がり半分の変な言いぐさになった。
「ふふふ」サイトーは聞こえるかどうかの低い笑いをこぼした。
そこへ息を切らせた居候が駆け込んできた。手に「ペリカン便」と書かれた
のぼりを持ち、フレディマーキュリーのようなフラッグアクションを展開した。
大真面目な面もちの居候をみて、サイトーは涙を流して笑い転げた。
さっきまでのやりとりなどすっかり忘れて、怒鳴りつけながらぼくも笑った。
居候は人の金だと思ってウイスキー、焼酎などごろごろ買い込んできており
アテも凄まじい量の唐揚げを抱えてきた。
サイトーはむさぼるようにそれを食らい、空腹なら何故言わぬと
居候にたしなめられ、大の大人が唐揚げを奪い合う姿に呆れながら
ぼくも口に運んだ。まだ余熱を残した揚げ物は存外うまかった。
大量に買い込んだ酒類は片っ端から干されて、ゴロゴロと転がされた。
エアコンの風が少しも感じないくらい全身を火照らせてぼくらは笑い転げた。



今朝、サイトーからメールが来た。
親父さんが脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたが手足に麻痺が残り
家業を継がなければいけないこと。ただの腰痛だと思っていたのは
慢性のヘルニアで、美容師の立ち仕事を続けるのは難しいこと、
それやこれやでこちらでの生活を引き払い、実家に帰ることに決めた、と。
あまりに突然だったのでどう受けとめていいか分からなかった。
一昨日はそんなことには一言も触れなかった。もう決意していたのだろうか。
あのときなにか言いかけたのはこのことだったんだろうかと、
ふとサラミソーセージのようなサイトーの後ろ姿が頭をよぎる。
メールの終わりには酒好きの居候をおもんぱかり、大事にしてやれとあった。