ボーイの季節(後編)

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我が部員が休日返上早朝深夜にわたって創作ダンス部の公演の手伝いを
させられているのをからかう程度の気持ちで、ある日その場に参じた。
電設の知識など持ち合わせない映研部員がひいひい言いながら部品と
格闘していた。
一応気を使ってもらっているのか、映研部員達にも昼食に鮭弁が
配られていたが、集合スタッフの勘定に入っていなかったぼくの分は
割り当てられなかった。
そのことも多少残念に思うことではあったが、なによりも創作ダンス部の女子が
なにやら土気色の肌で目の下にはクマをこしらえていて魅力に欠けていたことが
大きく気をそいだ。
で、手伝うでもなく、そのまま帰るのもアレなのでそのままつきあっていた。
会場の設営が整い、番組収録でいう「ランスルー」のようなチェックが始まった。
卒業生のOGなど数人が稽古を付けるようなかんじで、フロアからあれこれ
駄目出しをして演技が整えられていく。
立場が立場なので、とかく照明効果の方にばかり目がいってしまいがちだった。
演目が進行し、ラストの全部員総出演の大団円がはじまる。
ふと気付くと、フロアに座っていた先輩部員達もリズムに逆らえないといった
ように自然に体が動き揺れている。
ステージ上の最前まで疲れ切っていた表情のダンス部員達も頬を紅潮させて
こぼれるような笑顔で演じている。
彼女たちの「楽しい」という気持ちが冷え切った講堂の空気を大きく震わせて
熱い躍動を振りまいているのだ。
演技の上手下手などわからないけれど、目の前にいる彼女たちひとりひとりが
大きく、たくましく輝いて見えた。
音が発せられ、リズムが刻まれ音楽となって耳に届いたとき、そのよろこびを
体で反応せずに入られないという純粋な姿がそこにはあった。
感動したのだった。あまりにも無垢な感情のうねりに吹き飛ばされていたのだ。
自分のしてきたことは何だったんだろう。
同じエンターテインメントを届ける立場にあって、これほどストレートな
感情は届けられたであろうか。うなるような思いだった。
気持ちが動いた。
同じ創作活動を志す者としての対抗意識と、なによりもこの感情を受けとめて
しまったという自分の意識をカタチにしたかった。
その日から毎日8mmカメラを持参してダンス部の稽古に参加し、その場にいて
感じたものをひたすら撮影しまくった。
学祭の本番のときも自らのサークルの催しには目もくれず、ひたすら彼女たちの
演技をフィルムに焼き付けた。



フィルムは膨大なものになった。
そのほとんどは高揚した気分のままレンズを向けて切り取った断片ばかりだった。
撮影することだけでなかば達成した気分でいたが、ここからが自分のフィールド
であると気を引き締め、幾晩も徹夜を続けて編集した。
努めたのは彼女たちの演技の再構成にはならないようにということ。
かといって無理にバラバラにするのではなく、そこに焼き付けられた表情と
それに相対したときに受けた感情にだけ正直に選別していった。
その後音楽を挿入しクレジット等を付加し切れ切れの感情は一本の作品になった。
それは他人の目にはきっと記録にもならない、断片の羅列に写ったのだろう。
ストーリーも持たない、演目の再構成でもない、公演完成までのドキュメントで
すらない。
事実、映研部員からは活動を省みず何をしていたかと思えばこの有様か、と
非難もされた。
いいのだ。そこで弁解したり、至らない部分を口で説明したりしない。
届かなかったのなら、それは自分の力量のなさだからどうすることもできない。
不満はない。ただ確かなのはそこに彼女たちがいて、汗の輝く空間があって、
躍動する空気があって、動くことで今を伝えようとする気持ちがあって、
それをみつめていた時間があって、そしてそれをみつめずにはいられなかった
衝動があったということ。
それらが集められて不器用なかたちででも息づいているなら、それでいい。



数日たって、彼女たちにつなぎ上げたフィルムを上映した。
見終わった後、彼女たちが涙を流したのは自らのたどった日々を追憶してのこと。
満足だった。
ぼくが君たちから感じたことはこんなことだったんだよと伝えることが
できただけで、あの日、凍てつく講堂で震えていたのは寒さのせいじゃなかったと
冗談混じりに話せるんだから。
今思えば、ぼくも青臭い生き様をさらしていたものだなぁと、
あまりにも遠い日の花火を見やるような思いで振り返る。
そういう季節だったのだ。