ホームタウン急行(エクスプレス)

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盆の三が日をまるまる帰省に充てる結果になった。
16日の朝早くに上り新幹線に乗り込んでいたので、地震騒動には巻き込まれずに
済んだ。こちらに着いてからの移動中が地震発生の時刻だったので、たいした
影響も受けず、家のテレビで見て初めてことの重大さを知った。
実家に連絡をつけたが湯飲みが倒れたぐらいで幸い大きな問題はなかったようだ。
ここ一年がかりで耐震設備を施した家屋は、その効果を発揮したようである。



日取りをずらしながら各人が夏期休暇を取っているので、オフィスの中は
櫛の歯が抜けたような塩梅でポツリポツリと空席が目立つ。
山田の休暇も明日までの予定だ。取引先も休みになっているところが多いのか
電話もほとんど息を潜めている。
仕事もあっという間に片づいてしまった。
もう一日休みにしておけば良かったとぼんやり後悔する。
課長も不在なのでいつもよりも大袈裟に声を出して欠伸した。
「ダレまくってるねぇ」韮崎さんのデスクの島からからかいの声が上がる。
山田さんがメガネのレンズを拭きながら笑っていた。
今までいわゆる山田のことを「隣の席の山田」と特定してきたが、
それはうちの課にはもう一人山田さんがいるからだ。
山田さんは役付以外では課内で最年長。課長と同期だったか一つ下の代だったか
である。物腰穏やかで白熊を思わせる面差しの、お父さん像を絵に描いたような
人だ。ミッシェル・ポルナレフの如きレンズの大きなメガネがトレードマークに
なっているが、レンズを拭くのが癖で、眼鏡を掛けてしゃべっている姿を
あまり見たことがない。
「今年は行くんですか?来るんですか?」サーバーからコーヒーを注ぎながら
ぼくは尋ねた。
「来るって言ってるけどスケジュールがはっきりしなくてね。サマーキャンプ
やらにも行かなきゃなんないらしくて」レンズを蛍光灯に透かしながら
山田さんは応えた。



どう言えばいいのか。山田さんの家庭は単身赴任的な状態である。転勤を
言い渡されたわけではないので赴任ということばは当てはまらないのだが。
山田さんの家庭にはお嬢さんが一人いてアメリカの学校に通っている。
国内にもアメリカンスクールというものがあるが、生活の根幹からグローバルな
意識を持ってもらいたいという奥さんは留学というかアメリカの地元の小学校に
入学させることを強く望んでいた。
短期の留学とかホームステイということではなく、かの地に在住して通学させる
固い意志を譲らなかった。
「ほんとは一家揃って移住だってことだったんだけど」ここまで意見が拗れれば
普通は離婚ということになろうが、山田さんはその選択をしなかった。
小学校入学に合わせて奥さんとお嬢さんは渡米し、山田さんは一人日本に残って
仕事と家を守るという奇妙な二重生活を続けている。
単身在住勤続とでも言えばいいのか。
会社には功罪が皆無で全く個人の自由ということなので別段の措置は講じられて
いないが、社内ではおしなべて変なヤツ、奇妙な家族との印象を否めない。
「女房だけが暴走してるんなら放っとくんだけどさ」
奥さんが口にする前にアメリカ移住を希望したのは6歳のお嬢さんだったという。
これが奥さんに輪を掛けて頑固に主張を曲げなかった。
「行きたいっていうんだからしょうがないよね」山田さんはむしろ
喜んでいる様子でそのことを話していた。
家族がそれぞれ自分を見つめて答えを出しているならと、山田さんは
自分の仕事を続けたいという意志を家族に告げて一家移住からは退いた。
娘が母が父がお互いを思いながらも自分の考えを貫く。この在り方を
実践しているのだと、むしろ誇らしげに身の上を話す。
家族というものの在り方を改めて考えさせる山田家の実状だが、見ている限りでは
よそのどんな家庭よりもむつまじい印象を受ける。



「多分帰ってきてもひと月もいられないと思うけどね」軽い会釈を見せながら
山田さんは差し出したカップを受け取った。
「幾つになるんでしたっけ?お嬢さん」傍らのデスクにもたれてぼくは問うた。
「9歳だな」
前に写真を見せてもらったことのあるお嬢さんは父親にそっくりで
小熊のようにふっくらした面差しだったことを思い出す。
「ディズニーランドもコーラもやっぱり日本のでなきゃダメなんだってさ」
山田さんはピカピカに磨いた眼鏡の目を細めて嬉しそうにそう言った。