ふたりの夏物語

ほぼ課員全員が揃ったオフィスは賑やかだった。
遠出を自慢したいのか律儀なもので、皆なにかしらの土産を携えていた。
ぼくも昨日、一応地元の銘菓で全国的に有名になっているカスタードケーキを
持ってきたが、休暇予定の切り上げが早かった韮崎さんや山田さんおよび
こういうものには著しく鼻の利く経理課のご婦人方の胃に、あれよあれよという間に
消化されてしまった。


隣の席の山田も休暇を終えて出社した。土産だといって持ってきたものは
キーホルダ、バンダナ、タオル、Tシャツなどもう少しなんとかならなかったのかと
いうようなものばかり。
しかもそれらのどれにも『GUAM』というロゴがプリントされている。
「なにもこんなものばっかり買ってこなくたって、グアム行ったんだろ?
わかったわかった」すがるような目でグアム帰りを訴える山田に皆に呆れていた。
隣の席の山田が13〜16日までグアムに滞在したのは紛れもない事実のようだ。
むしろ東京の方が熱帯の陽気ではないかと思わせるぐらい現地では天候に恵まれず、
かえって涼しいぐらいの印象で雨天、曇天が続いていたようである。
企みとしては亜熱帯の陽射しで褐色の肌を手に入れることにあったが、
存外の天候不良でこの体たらくだと山田は肩を落とす。
「そんなことよりもさ」皆があてがわれたグアム土産を不承不承受け取って
自席に戻ると、ぼくは山田に尋ねた。
「お前ひとりでグアム行ったの?」
「そうだよ」ごく自明のことのように山田は応える。
「あ、そ」別に咎められることではないので、そうあっさり言われると
返すことばがない。ただ一般的にみて変わってるということだけだ。
山田は訝しげなぼくの視線の意を見透かす。
「変なヤツだと思ってんだろ?いや、実はさ」



伊勢屋の貝汁は蜆、浅蜊、蛤を抱き合わせた潮汁である。値は張るが旨い。
好物のそれをすすり、帰国を実感すると山田は目を細めた。
「キャンセルが出たっていうことでね」
旅行会社勤務の友人からグアムツアーに欠員が出たので山田に補填要員として
声がかかったのだという。
キャンセルを申し出たのは12月に挙式を控えたカップルらしかった。その男性のみ
キャンセルで女性は予定通りツアーに参加するという。
立ち入ったことなので詳細を訊くことはできない。
「どう考えてもマズイでしょうよ?」友人も旅先で世をはかなんで早まった
真似でもされたらことであると、目付監督の意味も含めて山田に応援を
打診したらしい。
そんなこんなで行きたくもないグアム行きを承知した山田だった。
予め標的を耳打ちされていた山田は、常にその女性を視界の端にとどめながら
行動していた。当の女性は30代半ばから後半といった様子。格別なんらかの
過不足があるようでもない、ごく普通のOLといった趣。
ツアーとはいえ現地までの渡航手段と宿泊施設の手配を預かるだけで、旅程は
個人の自由行動に委ねられ、申し出があれば添乗員が案内を請け負うという
ようなもの。つまり現地の様子に明るい、ないしは目的を持った旅人でなければ
思うように行動できないわけである。
相手がグアム慣れしていれば、尾行は困難を極めるかと思われた。
単身岬にでも向かったらどうしよう、宵闇に紛れて砂浜に下り寄せる波間を
遡行し始めたらどうしようなどと居たたまれないイメージばかりが山田の脳裏を
かすめた。しかし女性はホテルを離れることはなく、ビーチを臨むラウンジの
ソファに腰掛けたまま、サングラス越しに風景を眺めてひがな一日を過ごしていた
らしい。あおりで山田自身もホテルを離れることができず、南の島の風にこころを
洗うことすらかなわなかったと。
「なにもなくて良かったじゃない」ぼくのことばは慰め半分からかい半分だった。
「蛍光灯の下でエアコンの風にあたって不味い飯食って、バカンス満喫だよ」
南国帰りの開放感を微塵も感じさせない残念な山田が吐き捨てた。
「でもさ」茶をすすりひと心地すると、遠い目をして山田は言う。
「あの人はいったいなにしにグアムへ行ったんだろう?」
帰国の日まで結局一歩も外へ出なかったという。
婚約は破談になったのか。グアム行きは傷心旅行だったのか。そんなの関係なくて
もったいないから行っただけなのか。
日本を遠く離れたかの地で、ただの一言もことばを交わすことはないまま、
奇妙な巡り合わせのもと真夏の数日を同じ場所で過ごした、見知らぬ二人であった。
「女はわかんねーな」
分かってるつもりだったのかと茶々を入れるのは今はよそうと思った。