ノーサイド

在来線に乗って1時間弱、さらにバスを乗り継いで30分ほど。
辿り着いた場所は一面の水田に稲穂の緑が揺れ、雀除けテープの銀色が
煌めいている。日盛りの中で生きものの息吹に蒸せかえりそうになる。


サイトーの住む町を訪ねた。
ここへ着くまでどんな顔をすればいいのか、なんと声を掛ければよいのか
ずっと迷っていた。
家庭の事情と自身の体調悪化から、切望して勝ち得た職業を断念して故郷に
帰っていったサイトーである。
最後のメールに敢えて「逃げ帰る」ということばを選んだサイトーである。
その心中を思うとやはりやりきれない気持ちになるが、それとて他人の
勝手な同情でしかないのかも知れない。
東京からの移動時間にして2〜3時間弱。新幹線通勤なども珍しくない
今日でも、ぼくらのどこかには郷里に戻るというのは負けの陰を伴う印象を
否めない。まして望んだかたちではない終止符の打たれかたはどれほどの
影響を及ぼしているのか。
手の中の年賀状にある住所を頼りに歩き出す。



旧い家屋に後付けされたのであろう、屋根のトタンや外壁のサイディング
の新しさが目に付くサイトーの家だった。
縁側を開放した屋内はひっそりとしていて風鈴がちりちり響いている。
軒に吊された玉葱が風を受けるとカサカサ音を立てる。
訪問者を手放しで迎えているようで、それでいて外界との接触
堅く拒んでいるような静けさだった。
意を決し格子戸を開けて声を掛ける。返事はなかった。もう一度声を強めて
呼びかける。バタバタという足音が聞こえた。
「あれ、どした?」縁側の方から声。見るとランニング姿の陽に灼けた
サイトーが目を丸くしている。その懐かしい姿に安堵するのと最前までの
迷いが混ざり合って、ぎこちない笑顔で短く声を掛けた。
「上がれ上がれ」団扇で手招きする。ぼくは縁側へ回った。
サイトーは奥へ引っ込むと麦茶を持って戻ってきた。
「俺はこっち」自分用に缶ビールを用意している。ぼくは飲んでおいた
ほうがラクになれそうでビールを所望した。
「飲めるのか?」驚いた様子だったがサイトーは喜んで缶ビールを持って
きてくれた。
乾杯のつもりで缶をぶつけるとベンっとくぐもった音がした。
「どうしたんだ、急に。連絡くれりゃ迎えに行ったのに」
同窓会があったついでに寄ってみたと応える。そうか、と返事があり
ことばが切れる。
目の前の田園風景を並んで見るともなく見る。
「腹減ってないか?」ふいにサイトーが尋ねる。腰を上げながら
「いまお袋、出ちまってるからなんにも用意できないけど」
ざるに水滴のひかる胡瓜を山ほど持ってきた。
「うちで作ってんだ」規格にはじかれたのであろういびつなそれは、
しかし緑濃く、触れると棘が指に当たる元気なものだった。
囓ると小気味よい音を立てる。清々しい青い味が口に広がる。
縁側でことば少なく胡瓜を囓る男二人。目の前には緑の広がり。
「今年は雨が少ないんで難儀なんだと。聞きかじりだけど」
サイトーは笑った。



親父さんは車椅子での生活になってしまったが、退院してリハビリに
明け暮れる毎日を続けているという。
「目的を見つけると人間はタフになるらしい」サイトーの見解だ。
本格的な農作業は初めてのサイトーの指導には隣町の叔父さんと
この町に住むバレー部の先輩があたっている。
「部活の時より厳しいんだ」サイトーは苦笑する。
時折近所の子どもたちや奥さんたちがサイトーにカットしてもらいに
訪ねてくるらしい。東京のカットサロンで修行したサイトーの技術は
好評のようだ。親父さんがいうには聞きかじった「カリスマ美容師」という
ことばを誤って言っているのか悪態をついているのか、楽しげに
ハサミを走らせるサイトーを『カストリ美容師』と呼ぶ。
「カストリ上等」サイトーは笑う。
ここまで屈託なく暮らせるようになるまで、多少の時間はかかったようだ。
帰郷してしばらく塞ぎ込んでいた。踏ん切りをつけて戻ってきたはずの自分の
ふがいない態度にも両親の腫れ物に障るような接し方にもやりきれない気持ちに
なったという。
「でもさ、待ってくれないんだよ」作物の成長を前にサイトー一人が
迷っているヒマはなかったという。
美容師業で悪化させた腰の痛みは遠慮なく襲ってくる。農薬散布の際に
誤って吸い込んでしまい大騒ぎにもなった。
「ボヤボヤしてる暇なく背中どつき回されて、追いかけてるって感じだ」
農閑期になったら本格的に悩むことになるのかもね、とサイトーは笑う。
陽灼けして黒光りするその肩に、迷いの陰は感じられなかった。



「このまま丸かじりが一番」これも自畑で穫れたトマトを振る舞った。
顎まで汁を垂らしてかぶりついた。
よく聞く太陽の味とはこれのことだったのかと噛みしめる。
これからはこれを基準にトマトの味を確かめよう。
手の中の赤い重みを、もう一度握ってみた。