ラチエン通りのシスター

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週末を挟んで意地もそれほど持続できず、知らぬうちに「おはよう」
「行ってきます」ぐらいはしゃべるようになった。諍いがあろうとなかろうと
苦にならない行為ではあるけれど。
居候は週末をフェスティバル関係で堪能してきたようで、いち早くうやむやを
解消してしまったらしく、ぼくの態度など気に留めることもなく平素のままに
生活している。
この辺でクソ意地もフェイドアウトしよう。



少し早めに帰宅することができる。再度和解の盃をと思ったが、酒を買い込んで
自宅で飲み合うというのもなにか生臭い雰囲気なような気がしたので電話で
呼び出そうと思った。
「スカーラ」のような中途半端にがちゃがちゃしたところの方が、面倒な展開に
ならずに済むと考えたからである。
電車に乗る前に一度、下りてから一度電話をかけてみたがまたしても居候は不在だった。
N極とN極かぼくらは。
留守電に「スカーラ」にいるから来い、と残して駅向こうに足を進めた。
街のうら寂しい繁華街は、こんなところでも給料日後は活気づくものなのか、
平素よりも少し人通りが多かった。
たばこ屋の角を曲がろうとして、一丁先に見慣れたマント姿の人影が立っているのを見た。
なんだ、ヤツも店に行くところだったのか。
居候はなにやら辺りを窺いながらそわそわしている様子。
そして、誰かに呼ばれたのか右手を振り向き手を上げた。
ぼくは声を掛けようとして、慌ててやめた。居候に近づいてきたのはアケミさんだ。
なんなんだろう、別にそうする必要はないのだが電柱の陰に隠れて二人を窺った。
薄闇の向こうでアケミさんの真っ赤な紅の口元が微笑のかたちに動いているのが
ぼんやりと浮かんでいた。
二言三言言葉を交わすと、居候はアケミさんの腰に手を回し、街角へ消えた。
「?」なんだか分からなかった。
これが世に言う水商売界の同伴というものだろうか。
二人が消えた方向は焼肉店などが軒を連ねる、一般的な飲食店街の方角だ。
「ふーん」まめなことするもんだな。しかもアケミさん相手に。
より深度のある愉しみ方を心得ている居候の、その部分だけ感心した。


濡れた路地に看板が灯っているのを見留め「スカーラ」のドアを押した。
めずらしく店内にはサラリーマン風の二人連れが二組、テーブル席を陣取っている。
「いらっしゃい」マスターが低い声をかける。
「ども」いつもの席に先客がいるので、ぼくはカウンターについた。
ビールを注文し、店内を再び見渡した。
「あの…ユマさんは?」
「後で来るよ。遅れるって連絡あった」
栓を抜いてビールを注ぎながらマスターは応えた。
ぼくは会釈してグラスを取った。
「…同伴、ですかね?」
マスターは鼻で笑って
「うちはキャバじゃないからね。同伴なんかしても手当変わんないよ」
「そすか」ぼくは鼻白んでグラスを干した。
「ごめんね、手酌になっちゃって」マスターはソラマメの素揚げを皿に
盛りながらすまなそうに言った。
「まいっちゃうよ、こういうときに限ってアケミちゃんは当欠だし」
「トーケツ?」
「当日欠勤」マスターはカウンターを出てテーブル席へ皿を運んだ。
「?」さっきそこにいましたよ、と言いそうになって口をつぐんだ。
「ホントに、いい歳してちゃらんぽらんなんだから」
カウンター中に戻りながら、結構本気で憤慨している様子のマスター。
ここはあえてなにも言わない方がいいような気がした。
あの二人はどこへ行ったのだろう。ここへは来ない塩梅のようだ。
猫の手も借りたい様子のマスターを見かねて、ジョッキを運ぶのを請け合った。
テーブルに届け、空いたジョッキを下げる。
カウンターに戻ると枝豆が置いてあり、無言のお願いを申し出ている。
これも別テーブルへ届ける。
そんなふうに右往左往しているとドアが開きケタケタと笑いながら
ユマが顔を覗かせた。
「おはようございまーす」すでに酒が入っている様子で、頬を紅潮させて
すこぶる機嫌がいい。
「お連れさま、ご到着でーす」以前ここで親しげに話し込んでいたのを見かけた
中年男に腕を絡めてユマは店に入ってきた。
「遅いよ!早くして」マスターは少し語気を荒げた。
「はーい」全然真剣みのない声を返し、中年男をカウンターの端に座らせた。
「待っててね」にんまりした笑顔を残してユマはいったん店の奥に消えた。
マスターは中年男にもてなしのことばを掛け、キープのボトルを出した。
横目でこっそり窺う。
近くで見ると野性味を感じる中にも知性を忍ばせる、落ちついた風貌の
40後半から50代といった趣。スーツの着こなしに年輪が伺える。
これがダンディということか。
ぼくの少し離れた隣に大人の男が座っているのだ。
奥から出てきたユマはグラス、アイスペールなどのセットを携えて
大人の男の横についた。
「忙しいんだから専属になんないでよ」マスターはすかさず注意した。
「はーい」水割りを手早く作ると、少しふくれて立ち上がるユマ。
テーブル席へご機嫌を窺いに行く。「いらっしゃいませ」「久しぶりィ」などと
交わし、ウーロン割りを作ったりしている。
ふと見ると、大人の男は肩越しにそんなユマの姿をそっと見つめている。
離れたテーブルで笑い声をあげるユマ。
「…」
なにかうろ覚えのまま上空を眺めていて、不意に星座をかたちづくる線を
夜空に見つけてしまったような、そんな感覚。
大人の男は静かに水割りのグラスを口に運んだ。
大人の男はどこでユマと落ちあってここへ来たのだろう。
居候はどこへ行ったんだろう。当日欠勤させたアケミさんを連れて。
大人ってなんだ。
そんなことを考えるぼくはひどく場違いな空気を吸っている気がした。