青春狂騒曲

静かに滑り出したのは最初だけだった。
鼻歌混じりで操舵していた山田もほんの2〜3分後には「うおっ!うおっ!」
と情けない声を漏らしながら、バランスを取ることに必死である。
ぼくもちょっとした瀬に揺さぶられただけで、韮崎さん経由の反動を
直接受け、何度も尻が宙に浮く。波頭に跳ね返されてパドルを持つ腕が
顎に脇腹に痛打を見舞う。
絶妙な塩梅でバランスを保っている第2列の鈴木シスターズの無邪気な
はしゃぎ声がうらめしい。ぼくの隣の韮崎さんは完全に目をつぶっているので
瀬の揺れに振り回されるがままだ。大きくよろめいて身体がぶつかると
ボートの外に投げ出されそうになる。
「小滝に入りますよ」ガイドの声が響く。
小滝などと可愛らしい名前のくせに波が泡立つほどの激流と、そこここに
牙をむく段差とで、ややもすると舌を噛みそうになるのを必死で堪える。
「どりゃぁ!うりゃぁ!」最前列から聞こえるのは喜結目さんの叫びだ。
小滝を抜けてボート全体が大きく撓り、軽く跳ね上がるたびに喜結目さんは
歓声を上げる。この乗組員の中でもっとも肝が座っているのは喜結目さんの
ようだった。
パドルで波間をかき回していることにどれほどの意味があるのかと思うほど
さながらぼくらのボートは流れに弄ばれ漂流するように滑っていく。
脳裏をかすめるのは自己制御不能流しそうめんの悲しみである。
「もう少しで抜けますからね」再びガイドの声が声を掛ける。
そのことばを聞いて間もなく、幅員の広い緩やかな流れに滑り込んだ。
川面に山間の景色を映すほどの静かな流れに身を任せるボートは、やっと
乗組員のパドルによって操縦されることを望んだ。
「キャッチ!」「ロォォ」がんばっていきまっしょいよろしく、ぼくらは
川面を渡る風を受けながら操舵する。辺りの萌え上がる深緑を愉しむ余裕も
少しばかりこころに留めながら、ゆっくりと水面を掻き進んでいく。
乗組員全員の息が合ってくると、ふと見下ろした水面を滑るスピードは存外
速いことがわかる。急流に弄ばれるのではなく自らの手で進路を決めて
移動できていることがそこはかとなく誇りに感じて、パドルを握る手にも
力がみなぎる。
「もうすぐ『くつなし』。ラストイベントですよ」ガイドのやけに嬉しそうな声。
見ると進路の左右に巨大な岩が点在する。その合間を縫ってコースは続く。
ゴム製のボートは笹舟のように波に煽られるまま岩にぶつかり跳ね返されを
繰り返す。なにかピンボールの玉になったような塩梅だ。
途中、岩と岩に真横に挟まってしまい、パドルで岩面を突き押してコースへ戻った。
岩と岩の間隙を縫って進む折、涙が出るほど肘を痛打した。
気恥ずかしかった蛍光色のヘルメットもさもありなんという感じだった。
激動の数分間を乗り越えてぼくらは川旅のゴールに到達した。
岸に降り立ちこわばった表情をどうにか解して笑顔を見せようという努力が
必要だったのは情けないことに全員男子で、女性陣は水飛沫に濡れそぼった髪を
気にする程度で、皆歓声を上げて興奮を反芻していた。
韮崎さんは歯を食いしばったあおりで切ってしまったと口角から血を滴らせていた。
『くつなし』の岩場で尻を何度も強打した山田は涙ぐみながら腰をさする。
ぼくはぼくで自ら握っているパドルの手許が顎に命中し、紫色に腫れている。
嬉々としている女性陣を後目に、ぼくら週末ロビンソンクルーソー
濡れた着衣を引きずりながら、肩を落として休憩所へ向かった。
衣服を着替えてひと心地ついていると、後発のチームが到着した。
お達者くらぶご一行はさぞかしびしょ濡れで…と、ほくそ笑んでいたが、
存外被害を被った様子もなく、ゴルフ場で見せるような快活な笑顔で戻ってきた。
聞けば課長の見事なパドル裁きで終始安定かつ快適な川下りを体験してきたようだ。
風呂上がりに近い濡れ方のぼくらの髪を見て、しきりに課長は「修練が足らん」を
連発していた。


痛みを伴う苦行の川下りではあったが、平素では味わうことのない川風の
涼感や川面に映る景色の雄大さを堪能したとともに、これまた平素では
知ることのなかった、女性陣の肝の座りようなどを垣間見ることができて
これはこれで貴重な体験であった。
「DA.YO.NE」へつづく