ふたりの夏物語

ほぼ課員全員が揃ったオフィスは賑やかだった。
遠出を自慢したいのか律儀なもので、皆なにかしらの土産を携えていた。
ぼくも昨日、一応地元の銘菓で全国的に有名になっているカスタードケーキを
持ってきたが、休暇予定の切り上げが早かった韮崎さんや山田さんおよび
こういうものには著しく鼻の利く経理課のご婦人方の胃に、あれよあれよという間に
消化されてしまった。


隣の席の山田も休暇を終えて出社した。土産だといって持ってきたものは
キーホルダ、バンダナ、タオル、Tシャツなどもう少しなんとかならなかったのかと
いうようなものばかり。
しかもそれらのどれにも『GUAM』というロゴがプリントされている。
「なにもこんなものばっかり買ってこなくたって、グアム行ったんだろ?
わかったわかった」すがるような目でグアム帰りを訴える山田に皆に呆れていた。
隣の席の山田が13〜16日までグアムに滞在したのは紛れもない事実のようだ。
むしろ東京の方が熱帯の陽気ではないかと思わせるぐらい現地では天候に恵まれず、
かえって涼しいぐらいの印象で雨天、曇天が続いていたようである。
企みとしては亜熱帯の陽射しで褐色の肌を手に入れることにあったが、
存外の天候不良でこの体たらくだと山田は肩を落とす。
「そんなことよりもさ」皆があてがわれたグアム土産を不承不承受け取って
自席に戻ると、ぼくは山田に尋ねた。
「お前ひとりでグアム行ったの?」
「そうだよ」ごく自明のことのように山田は応える。
「あ、そ」別に咎められることではないので、そうあっさり言われると
返すことばがない。ただ一般的にみて変わってるということだけだ。
山田は訝しげなぼくの視線の意を見透かす。
「変なヤツだと思ってんだろ?いや、実はさ」



伊勢屋の貝汁は蜆、浅蜊、蛤を抱き合わせた潮汁である。値は張るが旨い。
好物のそれをすすり、帰国を実感すると山田は目を細めた。
「キャンセルが出たっていうことでね」
旅行会社勤務の友人からグアムツアーに欠員が出たので山田に補填要員として
声がかかったのだという。
キャンセルを申し出たのは12月に挙式を控えたカップルらしかった。その男性のみ
キャンセルで女性は予定通りツアーに参加するという。
立ち入ったことなので詳細を訊くことはできない。
「どう考えてもマズイでしょうよ?」友人も旅先で世をはかなんで早まった
真似でもされたらことであると、目付監督の意味も含めて山田に応援を
打診したらしい。
そんなこんなで行きたくもないグアム行きを承知した山田だった。
予め標的を耳打ちされていた山田は、常にその女性を視界の端にとどめながら
行動していた。当の女性は30代半ばから後半といった様子。格別なんらかの
過不足があるようでもない、ごく普通のOLといった趣。
ツアーとはいえ現地までの渡航手段と宿泊施設の手配を預かるだけで、旅程は
個人の自由行動に委ねられ、申し出があれば添乗員が案内を請け負うという
ようなもの。つまり現地の様子に明るい、ないしは目的を持った旅人でなければ
思うように行動できないわけである。
相手がグアム慣れしていれば、尾行は困難を極めるかと思われた。
単身岬にでも向かったらどうしよう、宵闇に紛れて砂浜に下り寄せる波間を
遡行し始めたらどうしようなどと居たたまれないイメージばかりが山田の脳裏を
かすめた。しかし女性はホテルを離れることはなく、ビーチを臨むラウンジの
ソファに腰掛けたまま、サングラス越しに風景を眺めてひがな一日を過ごしていた
らしい。あおりで山田自身もホテルを離れることができず、南の島の風にこころを
洗うことすらかなわなかったと。
「なにもなくて良かったじゃない」ぼくのことばは慰め半分からかい半分だった。
「蛍光灯の下でエアコンの風にあたって不味い飯食って、バカンス満喫だよ」
南国帰りの開放感を微塵も感じさせない残念な山田が吐き捨てた。
「でもさ」茶をすすりひと心地すると、遠い目をして山田は言う。
「あの人はいったいなにしにグアムへ行ったんだろう?」
帰国の日まで結局一歩も外へ出なかったという。
婚約は破談になったのか。グアム行きは傷心旅行だったのか。そんなの関係なくて
もったいないから行っただけなのか。
日本を遠く離れたかの地で、ただの一言もことばを交わすことはないまま、
奇妙な巡り合わせのもと真夏の数日を同じ場所で過ごした、見知らぬ二人であった。
「女はわかんねーな」
分かってるつもりだったのかと茶々を入れるのは今はよそうと思った。

ホームタウン急行(エクスプレス)

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盆の三が日をまるまる帰省に充てる結果になった。
16日の朝早くに上り新幹線に乗り込んでいたので、地震騒動には巻き込まれずに
済んだ。こちらに着いてからの移動中が地震発生の時刻だったので、たいした
影響も受けず、家のテレビで見て初めてことの重大さを知った。
実家に連絡をつけたが湯飲みが倒れたぐらいで幸い大きな問題はなかったようだ。
ここ一年がかりで耐震設備を施した家屋は、その効果を発揮したようである。



日取りをずらしながら各人が夏期休暇を取っているので、オフィスの中は
櫛の歯が抜けたような塩梅でポツリポツリと空席が目立つ。
山田の休暇も明日までの予定だ。取引先も休みになっているところが多いのか
電話もほとんど息を潜めている。
仕事もあっという間に片づいてしまった。
もう一日休みにしておけば良かったとぼんやり後悔する。
課長も不在なのでいつもよりも大袈裟に声を出して欠伸した。
「ダレまくってるねぇ」韮崎さんのデスクの島からからかいの声が上がる。
山田さんがメガネのレンズを拭きながら笑っていた。
今までいわゆる山田のことを「隣の席の山田」と特定してきたが、
それはうちの課にはもう一人山田さんがいるからだ。
山田さんは役付以外では課内で最年長。課長と同期だったか一つ下の代だったか
である。物腰穏やかで白熊を思わせる面差しの、お父さん像を絵に描いたような
人だ。ミッシェル・ポルナレフの如きレンズの大きなメガネがトレードマークに
なっているが、レンズを拭くのが癖で、眼鏡を掛けてしゃべっている姿を
あまり見たことがない。
「今年は行くんですか?来るんですか?」サーバーからコーヒーを注ぎながら
ぼくは尋ねた。
「来るって言ってるけどスケジュールがはっきりしなくてね。サマーキャンプ
やらにも行かなきゃなんないらしくて」レンズを蛍光灯に透かしながら
山田さんは応えた。



どう言えばいいのか。山田さんの家庭は単身赴任的な状態である。転勤を
言い渡されたわけではないので赴任ということばは当てはまらないのだが。
山田さんの家庭にはお嬢さんが一人いてアメリカの学校に通っている。
国内にもアメリカンスクールというものがあるが、生活の根幹からグローバルな
意識を持ってもらいたいという奥さんは留学というかアメリカの地元の小学校に
入学させることを強く望んでいた。
短期の留学とかホームステイということではなく、かの地に在住して通学させる
固い意志を譲らなかった。
「ほんとは一家揃って移住だってことだったんだけど」ここまで意見が拗れれば
普通は離婚ということになろうが、山田さんはその選択をしなかった。
小学校入学に合わせて奥さんとお嬢さんは渡米し、山田さんは一人日本に残って
仕事と家を守るという奇妙な二重生活を続けている。
単身在住勤続とでも言えばいいのか。
会社には功罪が皆無で全く個人の自由ということなので別段の措置は講じられて
いないが、社内ではおしなべて変なヤツ、奇妙な家族との印象を否めない。
「女房だけが暴走してるんなら放っとくんだけどさ」
奥さんが口にする前にアメリカ移住を希望したのは6歳のお嬢さんだったという。
これが奥さんに輪を掛けて頑固に主張を曲げなかった。
「行きたいっていうんだからしょうがないよね」山田さんはむしろ
喜んでいる様子でそのことを話していた。
家族がそれぞれ自分を見つめて答えを出しているならと、山田さんは
自分の仕事を続けたいという意志を家族に告げて一家移住からは退いた。
娘が母が父がお互いを思いながらも自分の考えを貫く。この在り方を
実践しているのだと、むしろ誇らしげに身の上を話す。
家族というものの在り方を改めて考えさせる山田家の実状だが、見ている限りでは
よそのどんな家庭よりもむつまじい印象を受ける。



「多分帰ってきてもひと月もいられないと思うけどね」軽い会釈を見せながら
山田さんは差し出したカップを受け取った。
「幾つになるんでしたっけ?お嬢さん」傍らのデスクにもたれてぼくは問うた。
「9歳だな」
前に写真を見せてもらったことのあるお嬢さんは父親にそっくりで
小熊のようにふっくらした面差しだったことを思い出す。
「ディズニーランドもコーラもやっぱり日本のでなきゃダメなんだってさ」
山田さんはピカピカに磨いた眼鏡の目を細めて嬉しそうにそう言った。

ノーサイド

在来線に乗って1時間弱、さらにバスを乗り継いで30分ほど。
辿り着いた場所は一面の水田に稲穂の緑が揺れ、雀除けテープの銀色が
煌めいている。日盛りの中で生きものの息吹に蒸せかえりそうになる。


サイトーの住む町を訪ねた。
ここへ着くまでどんな顔をすればいいのか、なんと声を掛ければよいのか
ずっと迷っていた。
家庭の事情と自身の体調悪化から、切望して勝ち得た職業を断念して故郷に
帰っていったサイトーである。
最後のメールに敢えて「逃げ帰る」ということばを選んだサイトーである。
その心中を思うとやはりやりきれない気持ちになるが、それとて他人の
勝手な同情でしかないのかも知れない。
東京からの移動時間にして2〜3時間弱。新幹線通勤なども珍しくない
今日でも、ぼくらのどこかには郷里に戻るというのは負けの陰を伴う印象を
否めない。まして望んだかたちではない終止符の打たれかたはどれほどの
影響を及ぼしているのか。
手の中の年賀状にある住所を頼りに歩き出す。



旧い家屋に後付けされたのであろう、屋根のトタンや外壁のサイディング
の新しさが目に付くサイトーの家だった。
縁側を開放した屋内はひっそりとしていて風鈴がちりちり響いている。
軒に吊された玉葱が風を受けるとカサカサ音を立てる。
訪問者を手放しで迎えているようで、それでいて外界との接触
堅く拒んでいるような静けさだった。
意を決し格子戸を開けて声を掛ける。返事はなかった。もう一度声を強めて
呼びかける。バタバタという足音が聞こえた。
「あれ、どした?」縁側の方から声。見るとランニング姿の陽に灼けた
サイトーが目を丸くしている。その懐かしい姿に安堵するのと最前までの
迷いが混ざり合って、ぎこちない笑顔で短く声を掛けた。
「上がれ上がれ」団扇で手招きする。ぼくは縁側へ回った。
サイトーは奥へ引っ込むと麦茶を持って戻ってきた。
「俺はこっち」自分用に缶ビールを用意している。ぼくは飲んでおいた
ほうがラクになれそうでビールを所望した。
「飲めるのか?」驚いた様子だったがサイトーは喜んで缶ビールを持って
きてくれた。
乾杯のつもりで缶をぶつけるとベンっとくぐもった音がした。
「どうしたんだ、急に。連絡くれりゃ迎えに行ったのに」
同窓会があったついでに寄ってみたと応える。そうか、と返事があり
ことばが切れる。
目の前の田園風景を並んで見るともなく見る。
「腹減ってないか?」ふいにサイトーが尋ねる。腰を上げながら
「いまお袋、出ちまってるからなんにも用意できないけど」
ざるに水滴のひかる胡瓜を山ほど持ってきた。
「うちで作ってんだ」規格にはじかれたのであろういびつなそれは、
しかし緑濃く、触れると棘が指に当たる元気なものだった。
囓ると小気味よい音を立てる。清々しい青い味が口に広がる。
縁側でことば少なく胡瓜を囓る男二人。目の前には緑の広がり。
「今年は雨が少ないんで難儀なんだと。聞きかじりだけど」
サイトーは笑った。



親父さんは車椅子での生活になってしまったが、退院してリハビリに
明け暮れる毎日を続けているという。
「目的を見つけると人間はタフになるらしい」サイトーの見解だ。
本格的な農作業は初めてのサイトーの指導には隣町の叔父さんと
この町に住むバレー部の先輩があたっている。
「部活の時より厳しいんだ」サイトーは苦笑する。
時折近所の子どもたちや奥さんたちがサイトーにカットしてもらいに
訪ねてくるらしい。東京のカットサロンで修行したサイトーの技術は
好評のようだ。親父さんがいうには聞きかじった「カリスマ美容師」という
ことばを誤って言っているのか悪態をついているのか、楽しげに
ハサミを走らせるサイトーを『カストリ美容師』と呼ぶ。
「カストリ上等」サイトーは笑う。
ここまで屈託なく暮らせるようになるまで、多少の時間はかかったようだ。
帰郷してしばらく塞ぎ込んでいた。踏ん切りをつけて戻ってきたはずの自分の
ふがいない態度にも両親の腫れ物に障るような接し方にもやりきれない気持ちに
なったという。
「でもさ、待ってくれないんだよ」作物の成長を前にサイトー一人が
迷っているヒマはなかったという。
美容師業で悪化させた腰の痛みは遠慮なく襲ってくる。農薬散布の際に
誤って吸い込んでしまい大騒ぎにもなった。
「ボヤボヤしてる暇なく背中どつき回されて、追いかけてるって感じだ」
農閑期になったら本格的に悩むことになるのかもね、とサイトーは笑う。
陽灼けして黒光りするその肩に、迷いの陰は感じられなかった。



「このまま丸かじりが一番」これも自畑で穫れたトマトを振る舞った。
顎まで汁を垂らしてかぶりついた。
よく聞く太陽の味とはこれのことだったのかと噛みしめる。
これからはこれを基準にトマトの味を確かめよう。
手の中の赤い重みを、もう一度握ってみた。

乾杯

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新幹線のホームに降り立つと幾分気温の違いが肌で感じられる気がするが、
それでも真夏日には達しているであろうことはうかがわれた。
長逗留する予定はないので、着替えのいくつかだけを詰めた鞄を背負い直し
改札へのエスカレーターに立った。
正月以来の帰省である。
どんなに気の利かない予定であろうとも、この土曜からは盆休に入っている
らしく、新幹線の車内は予想通りの混みようであった。2時間前後の乗車
なので、その行程を立ちっぱなしでやり過ごすのには慣れている。
東京から北上しているので避暑の塩梅になるかという期待は崩された。
もう日本中でこの季節に涼しいと感じる地域などないのではないか。早くも
背中一面に汗が噴き出すのを感じながら駅舎を出た。
同窓会は16時からと葉書にある。荷物を置いて一休みしても間に合う。
とりあえずバス停に向かおう。



同窓会と聞いてなんというかクラス会とか旧知の者のみが集まるひっそりとした
催しと思っていたが、会場について驚いた。
3000人ほど収容可のホテルの大広間を借り切っての立食パーティーだった。
よく見ると創立50周年記念同窓会ということで、代々の卒業生から希望者が
集められているらしい。とんだ年寄りから今年の卒業生まで老若男女が千人近く
集まっているのだ。
なにかこうもっとこぢんまりと過ぎし日を語らう飲み会程度に考えていた
ので面食らった。ただでさえ中学時代の記憶など茫々で同級生すら
はっきりと覚えていないのに、これほど大規模な催しになっては、
懐かしいもくそもない。うろたえてしまった。
現在でも唯一親交のある笠巻の姿を探した。この芋洗いの状況で見つけられる
だろうか。会場内を徘徊して思うのは同年代と思しきものの数が少ないと
いうこと。おしなべて中高年から老人ばかりが目立つ。こんなことになってると
知っていればぼくものこのこ参加はしなかった。
前方では現職の先生だろうか、見覚えはなかったが式次第を進行し始めた。
現校長やPTA会長などが長い挨拶を述べる。ぼくも一応その場に立ち止まって
演台に体を向けて目だけは知人の姿を探した。
背後から名前を呼ばれて肩を叩かれた。振り向くと同年代の女性である。
「やっぱりそうだ」女性はぼくの腕をとると「こっちこっち」と促した。
まん丸顔に見覚えがあるようなないようなだった。腕を引かれるままに
ついていくと「おう」と声が上がった。笠巻が似合わないスーツ姿で手を
挙げている。女性はぼくを送り届けると笠巻に寄り添った。
「こいつ、憶えとらんか?」と笠巻。並んだ二人の姿を見る。
もつれた糸がつながった。
「…バドミントン部の?」
「んだ。阿部だ」満面の笑みで笠巻は阿部さんに腕を回し
「俺ら結婚するんよ」
驚いた。当時それほど仲がよかったとは思っていなかったし、笠巻も東京で
就職しているのでなにも中学の同級生と一緒にならなくても。
それよりもなによりも、阿部さんは女性としては体格のいい方でおそらく
身長も165〜6cmはあるのではないかと見えるが、その女性の横で得意げに
している笠巻は身長149cm。回した腕は阿部さんの腰にすがりつくような
塩梅である。その様子が滑稽なのと、この凸凹カップルが存外お似合いで
微笑ましかったのとで、ぼくは声を上げて笑ってしまった。
「なんね、なんね」笠巻は憤慨した。
「ごめんごめん。いや、なんていうか」ぼくはまだ笑いを抑えきれなかった。
「そうか、そういうことになってたのか」やっと息を整え
「おめでとう、よくやった」今度は心底そう言えた。



「これも今は東京さ出てきとってな」中ジョッキをあおると笠巻は言った。
笠巻らも会場に来るまで今日の催しの規模を把握しておらず、二人で
途方に暮れていたらしい。そこへちょうどぼくを見つけたということで
式の頃合いを見計らい連れだって退けてきた。
開店直後の居酒屋はまだ客もちらほらである。
笠巻の横でニコニコしている阿部さんは既に2杯目を注文している。
「それがまあ聞いてくれよ、身長なんだと」
例の「K」狙いで女子バドミントン部周辺に出没していた笠巻は「一寸法師
とか「ミジンコ」と呼ばれて部内では有名だったらしい。こと阿部さんは
身長の低い男性を好む嗜好があるらしく、当時から気になっていたのだそうだ。
それぞれ別の高校へ進学したが交際はその頃からで、ぼくも驚いたが
阿部さんの家は笠巻の家の2丁先らしい。つまりぼくも近所なのだ。
交際を申し出たのも阿部さん、結婚を切り出したのも彼女かららしい。
短大を卒業して2年の遠距離交際を経て、笠巻の就職と同じうして阿部さん
も東京に出てきた。笠巻を追って、である。
「もてる男はラクだべ」まるっきり故郷訛りで笠巻は悦に入っている。
「全部押し切られてるんじゃない」ぼくは笑った。
「つきあいが長いといろいろあるしな」笠巻は少し真顔になった。
「いいんだと思うよ、そういうことで」ぼくはとりなした。
阿部さんは手洗いへ行くと席を立った。
後ろ姿を見送りながら笠巻は続けた。
「俺もさ、そうは言ってもいろいろ悪さもしたさ。ちょこちょこ
つまみ食いしたり」それほど小器用に思えない笠巻を見て吹き出しそうになる。
「んでもさ、早いうちにくさび打たれると、なんていうかそれが基準に
なっちまうんだな」照れ隠しの大げさな仕草。
「こういうときあいつだったらこうしてくれるとか、こんな時あいつだったら
叱り飛ばしてくれるとか」
ぼくは無言で頷いていた。
「他のがどんなにいい女だと思っても、あいつと比べちゃうんだ」
「いいじゃないか」
「それってなんか損した気分にならないか」
「なに言ってんだよ」おしぼりを笠巻の顔にぶつけてやった。
「なあに?」笑顔を浮かべて阿部さんが戻ってきた。
「なんでもねえっちゃ」笠巻は照れ隠しにそっぽを向いた。
なによなによと阿部さんに詰め寄られて、なんでもないと照れて
よけい小さくなってる笠巻。二人の姿を見て思い出す風景があった。
いつかの帰り道、寂しげな「K」の姿を見送ったあの時に
笠巻とじゃれ合ってはしゃいでいたのは阿部さんだったのだ。
今も全く変わらない二人の姿に記憶を重ねて眩しさに目を細めた。

ため息のマイナーコード

帰り支度をして社を出ると今にも泣き出しそうな空模様だった。
ここのところ、スコールと見まがうほど烈しい夕立に
臍をかんでいたので、退社後とはいえ侮れない。
昼に「鮪まつり」の貼り紙を見つけて晩飯は伊勢屋で刺身定食をと
考えていたが、こんなところで長っ尻になって雨に足止めを食うのも
残念だ。しかし伊勢屋の親爺が馴染みにはカマ焼きを振る舞うと
言っていたのにも後ろ髪を引かれる。
しばし人生の岐路に立たされたが、ここは雨ざらしになるのを回避する
手だてを選ぶ。三崎産クロマグロよいつの日かまた。
衣服にまとわりつく湿気が一段と不快さを増してきたように感じ、
この選択は間違いではなかったと自らを納め、街の灯を後にした。
自宅最寄り駅まで到着する。ここまで来てしまえば、たとい濡れても
幾ばくかの距離でたかがしれている。
コンビニで弁当でもと思ったが、なにかそんな気がしない。
「『スカーラ』のそばめしは絶品」以前居候が言っていたのを思い出した。
ああいうところのああいう食べ物は縁日のたこ焼きみたいなもので、
冷静になるとちっとも美味いものではなかろうと思うのだが
平素こと食べ物について讃辞を述べない居候が言うのだからと期待した。
きびすを返し駅向こうに向かった。



いつ見ても乾くことのないように思える路地に「スカーラ」は
営業中の看板を灯していた。
「こんばんは」重いドアを開ける。先客はいない。従業員二人も
いつも無口なマスターもカウンター奥にいなかった。
「?」意外な展開にちょっと躊躇。
所在なく立ちつくしていると、奥から黄色いTシャツのユマが現れた。
「あ」ぼくを見る。
「ども」ぺこりと会釈。
間があいた。
「あの…」とりつく島を探して「いいすか?」
「え?あ、どぞ」
ぼくはなんとなく定位置になっていたソファに掛けようとして
「いま、誰もいないから」ユマはカウンターに促した。
狭いスツールに腰を下ろす。カウンター奥にまわったユマに
「マスターは?」
「なんか電話で呼ばれて出てくるって。アケミさんはお休みなんです」
そこまで訊いていなかったが、そういってユマはちらりとぼくを見た。
「ふうん」なにか心許なくてぼくは目をそらし店内を見やった。
「忙しくなさそうですね」
「ヒマって言えばいいじゃないですか」ユマは笑った。
「ああ、そうか」ぼくもつられて笑った。
「なんにします?」
「あ、えーと。あのビール」アルコールを注文するのはなにか照れくさかった。
「はい」ユマは気に留める様子もなく冷蔵庫を開ける。
ぼくが飲めないのを忘れているのか。
覚えてるはずもない。一度接客しただけの客のことなど。
ユマの艶やかな髪と時折のぞく、やはり青白い頬を見ていた。
小ぶりのグラスが置かれ、カウンター越しに伸び上がりながら
ユマがビールを注いだ。泡がちでへたくそな注ぎかただ。
「あたしもいただいていいですか?」目配せする。
「え?ああ、どうぞ…」差し出したグラスにぎこちなく注いだ。
ユマ以上にへたくそな注ぎかたになった。
「やん」小さく叫んでこぼれそうになる泡を急いで口で吸った。
オヤジのようなその仕草と、なにより飲めないはずのユマがビールを
強請ったことに違和感を感じた。
「ダメなんじゃなかったですっけ?」変な訊き方になった。
「え?」
「酒」
「ダメじゃないよ。ビール好き。ビールが一番好き」ユマは微笑する。
初めて会ったときはアルコールがダメなので、とぼくとともにウーロン茶を
すすっていたはずだった。客の意向に合わせたんだろうか。
ぼくの手のグラスの中は泡が消えて無様な液体になっている。
なにか目の前の黄色いTシャツのユマが遠く別人に思えた。
カウンター奥から出てユマがこちらに来た。
「あの、食べ物」あわてて言葉が口をついて出た。
「はい…でも」
「あの、アレ」
「あたしお料理できないよ」
「あの、そばめ…え?なに?」ユマが言ってることを聞いてなかった。
「あたし調理するものはできないです」
「…そなんですか?」どうしていいんだかわからなくなる。
「あ、でも」カウンター奥に戻り冷蔵庫を開け
「そばめしなら」冷凍食品の袋を取り出した。
「それ…?」ユマは安堵したような微笑みを浮かべている。
「…じゃ、それで」
こくりと頷くとユマは袋のまま電子レンジに放り込んだ。
「ああ!ちょっとちょっと」慌ててスツールから立ち上がる。
「ん?」不思議そうな顔で振り返るユマ。
ぼくはぶんぶん首を振りながら
「それは、ダメ。やっちゃダメ」



割り箸を出されてしまったので、うまくつかめず食は進まなかった。
訊けばそばめしのオーダーはいつも冷凍食品で対応しているらしい。
このメニューを絶賛した居候をこころの中で罵倒した。
ユマはぼくの隣に座り黙ってビールを飲んでいる。
この間同じ席に座っているのを見かけたときの笑顔はない。
「訊いてもいいですか」米粒と焼きそばの切れ端を箸で追いながら尋ねる。
「なんですか?」ぼくを見る。
「この間、ここにいた…」ユマの真っ直ぐな視線にたじろぐ。
訊かなくていいような気がした。
「はい?」
「いえ、なんでもないです」ユマの方をちらりと見る。
黄色いTシャツの胸に『KNOCK ME』という文字が読めた。
尋ねたいことはたくさんあるけど、訊かない方がいいような気がした。
「もう一本開けますか?」空いた瓶をかざしてぼくに問う。
二杯くらいしか飲んでいないのに顔が熱い。
ユマはかざしたビール瓶を揺らしながらぼくを見ている。
『KNOCK ME』
まだその扉を叩く準備はできていない気がした。
週末には帰省する。

ろくなもんじゃねえ

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だんだん腹が立ってきた。居候の放蕩ぶりにである。
2〜3日都会の暑さを避けての逃避行ぐらいなら、エアコン禁止令を出した
手前申し訳なかったと素直に詫びようと思っていたものの、もうかれこれ
2週間になる。一人で遊びほうけやがって、と羨ましい気持ちだ。
ぼくの生活の中で居候の存在が占める割合というものがこれほど大きく
波及していたのだと、いなくなって実感した。これは口惜しい。
裏を返せばどれだけ振り回されていたかということだ。
さらに口惜しいことに、その行状はヤツのブログに報告されているので
心配もできない。なにかハンカチを噛みしめるような気分だ。
放っとこう。


まぁ思えば居候とてこの部屋に居なければならない理由もなく、むしろ
ここにやってきたのだって、流浪暮らしのほんの一刹那のことだったのかも
知れないのだし。
そう考えて、ぼくは自分自身がなにか居候にとって特別な存在であると
思いこんでいたことに気づき、恥ずかしいような寂しいような気分になった。
週末には同窓会があるので帰省する。それまでに戻ってこないだろうか。
散らかし放題になってしまった部屋を憂う。このままで帰省している間に
ヤツが帰ってきたらどう思うか。じゃ片付ければいいのだが、自分は
出かけてしまって清潔になった室内を満喫することなく、ただただ
放蕩している居候のために清掃するというのが、どうにも納得できない。
いいじゃないか。遊び歩いてたヤツに掃除させれば。そうだそうだ。
放っとこう。


すぐ帰って来るものだと思っていたので、せいぜい2〜3日の我慢とおもい、
ろくな食事を摂っていなかった。少しの間凌げばまたあのうまい飯が
食えると思っていて誤魔化してきた。長期不在の感触が見え始めてから
食事のことを真剣に考えたが、外食に頼るしかない。
最近では帰宅時に伊勢屋によって飯をすますことが多い。不満はないのだが
昼も夜もというのはなにか味気ない気もする。
時折山田とか韮崎さんが飲みに行くというので、同行して酒肴で夕食を
誤魔化すこともある。
まぁ居候が作った飯でなければ食べられないということではないので
それほど気にすることもなかろう。ただ味気ないだけだ。
放っとこう。


居候が旅に出てからの大きな変化といえば、ぼくが少しばかり
アルコールになれてきたということか。
ウワバミの山田ほどとはいかないが、ある程度ゆっくりと過ごしながら
ならば、適当につきあえるようにはなった。鍛えているつもりはないが
帰りの道すがらコンビニで小さいほうのビールを買い求め、
テレビを見ながら30分ぐらいかけて1本を空けるようなペースで飲んでいる。
これからは一人走りする居候を暑苦しく見守るだけでなく、共に杯を
合わせるぐらいのことはできそうだ。酒が入ってからの居候の多岐に渡る
談義はかなり興味深い。つまみの一つも奮発して晩酌の相手をしてやるのも
いいだろう。そんなことを考えてなにを待ちこがれるような気分に
なっているのかと自戒する。それはそれで口惜しいじゃないか。
放っとこう。



ああ。こんなこと書くつもりじゃなかったのに。
これでは帰宅の遅い夫の行状を憂う主婦のようではないか。
口惜しいやら馬鹿馬鹿しいやら。
憤慨しながら爪を切ったら深爪してしまった。

ハンマー・トゥ・フォール

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退屈にまかせて、めっきりネットオークションにいそしむこの頃。
いやはやこれが楽しいんである。
元来物品を所有するということにさしたる関心も寄せていない自分だけれど
手に入らないものと分かっているものが出品されていると、
ついつい入札してしまうのだ。

購入するものは専らCD。つくづくCDというメディアに感謝することしきり。
一昔前なら中古レコードなんて完全にコレクターズアイテムで、
それを持っているということが優越感のよりどころであり、再生した際に
クラッチノイズがやかましければやかましいほど値打ちがあるような
顔して悦に入っていたものだが、中古のCDはこだわりがなければ鑑賞には
何の影響もなく新譜同様に楽しめるのだ。
ここ1週間ほどで20枚ほどのCDを買い倒した。価格はそれぞれ異なるが、
およそ400円前後。最高値のものでも1200円か。入札価格に送料が
加算されるので、それでも1500円以下。この辺の冒険しなさが、かえって
後を引いている要因かもしれない。


ここまで様々なものを落札して手元に届いて再生してみたけれど、
感じるのはやはり「その程度の印象」ということ。つまり金があろうが
なかろうが体に震えがくるほど聴きたかったものや、発売日を指折り数えて
待ちこがれたものではなかったんだなということ。
オークションサイトに陳列されているタイトルをザラザラと見ながら
「あ、これ」ぐらいなかんじで選んで入札、えてして競合がいないものに
手を出すらしく、価格を競ることもなく落札。数日後に現物が届けられ
鑑賞…やはり身体に震えはこないのだ。
それでもビートルズのカバーアンソロジーは、数年前に聴いたときと同じく
ニンマリしてしまったし、岡村靖幸の豊饒で濃密な音空間には心酔至極。
硨島邦明のサントラは思った通りエッジが効いてるし、と多大な満足を
届けてくれるものもある。おしなべて成功という感じか。


オークションに出品されるぐらいだからつまりは中古品で、
当たり前のように新譜はなく、従って趣向が一様に懐古的になる。
様相としては懐メロという風情なのだろうが、これが一向に古い時代を
感じない。
自分の趣味趣向は歳月を経るにつれ、変化を遂げてきたと思っているが、
ベースになるものはやはり二十歳前後、例の「二十歳の刷り込み」である。
さらに掘り下げれば十代の頃に発見した、心の銃爪を弾くエレメントは
変わってはいないのだ。改めて気づく。
こだわることなく耳を傾けてきたこれまでのものは、確実に蓄積されている
と実感する。脈絡のない選択をしてきたと思うが、微妙な筋が通っていた。
流行りなど知らないが音の一粒一粒に耳を寄せると、そこには自分を
刺激する甘露の要素を見つけることができる。


こんな二束三文の買い物で、なにやらコンパクトな自分史を垣間見ることが
できるというのもオークショニアの密かな楽しみかもしれない。